不妊治療(ART)は長期的に心血管の安全性が高い──ただし「不妊そのもの」は要注意サイン

体外受精や顕微授精などの生殖補助医療(ART)は、世界的に利用が広がる不妊治療です。国際的な報告によれば、2018年には83か国で年間330万周期を超えるARTが実施されています。ART では卵巣刺激によって複数の卵胞を育てるため、女性の体は通常よりも高いエストロゲン濃度にさらされますが、この生理学的な変化が長期的な心血管の健康にどう影響するかは、十分に解明されていません。

これまでの長期追跡研究の多くはがんの発症リスクに関心が向けられており、心血管疾患や代謝疾患への長期的な安全性については研究の蓄積が限られていました。数年単位の追跡では、静脈血栓塞栓症や高血圧のリスク上昇を指摘する報告がある一方、心血管疾患が実際に発症するまでには長い年月を要するため、より長期の観察が必要とされてきました。さらに、心血管リスクの上昇がART自体によるものなのか、それとも治療の背景にある不妊症そのものが持つリスクなのかを切り分けることも、これまで十分にはできていませんでした。

この課題に、スウェーデンの全国規模のレジストリデータを用い、最長30年間という長期の追跡で挑んだ研究が、2026年にmedRxiv(査読前の論文を公開するプレプリントサーバー)に公開されました(DOI: 10.64898/2026.05.18.26353477)。正式な査読を経る前の報告ですが、対象規模と追跡期間の長さから注目に値する知見です。

方法──38万人を30年間追跡した、スウェーデンの全国レジストリ研究

今回の研究は、1992年から2002年にスウェーデンで第1子を出産した女性38万756人を対象としました。出生医療登録(Medical Birth Register)をはじめとする複数の全国レジストリを個人単位で連結し、2023年末まで最長30年間追跡しています。対象のうち2万6514人(7.0%)がARTを使わずに不妊を経験しており、1万923人(2.9%)がARTを用いて妊娠していました。

安全性を検証する主要な解析(一次解析)では、不妊を経験した女性の中で、ARTを使って妊娠した群と使わずに妊娠した群を比較しました。年齢、BMI、出身国、社会経済的要因、既往症、喫煙状況、出産年などの背景因子について逆確率重み付け(IPTW)による調整を行い、両群の背景をできるだけそろえたうえでリスクを比較しています。加えて二次解析として、ARTの使用有無にかかわらず、不妊を経験した女性と経験していない女性を全体で比較し、不妊そのものが心血管疾患リスクに与える影響を検討しました。

対象となった疾患は、急性心筋梗塞、脳梗塞などの脳虚血性病態、頭蓋内出血、2型糖尿病、心不全、大動脈瘤・解離、慢性腎臓病の7種類です。10年、20年、30年時点での累積リスク差とリスク比を算出し、95%信頼区間とともに提示しています。

ART自体は「概ね安全」──例外は脳梗塞リスクの上昇

背景因子を調整した一次解析では、不妊を経験した女性の中でARTを使った群と使わなかった群のあいだに、調べた心血管疾患のほとんどで明確なリスクの差は見られませんでした。唯一の例外が脳梗塞などの脳虚血性病態で、30年時点のリスク比は1.43(95%信頼区間1.09~1.89)、リスク差は0.46ポイント(95%信頼区間0.07~0.84ポイント)と、ART群でおよそ4割高いという結果でした。

この点を掘り下げるため、卵子側ではなく主に男性側の不妊を理由に行われる顕微授精(ICSI)のみを対象にした感度分析も行われました。研究対象期間の初期、ICSIは男性因子による不妊にほぼ限定して用いられていたため、ART群の中でも不妊関連のリスク因子が比較的少ないと想定される集団です。この群でも、脳虚血性病態を除けば、ARTを使わず妊娠した不妊女性と同程度かそれ以下のリスクにとどまっており、脳梗塞についてもわずかな上昇にとどまり、統計的に明確な差とは言えませんでした。全体として、一次解析の結果を裏づける内容です。

「不妊症そのもの」が示すサイン──心筋梗塞36%、2型糖尿病34%、心不全25%

一方で、ARTの使用有無にかかわらず、不妊を経験したこと自体は心血管疾患リスクの上昇と関連していました。年齢が近い女性同士で比較すると、不妊を経験した女性は急性心筋梗塞、2型糖尿病、心不全のリスクが一貫して高く、背景因子で調整してもこの差は完全には消えませんでした。

具体的には、30年時点での急性心筋梗塞のリスク比は、年齢のみで調整した場合1.47(95%信頼区間1.26~1.71)でしたが、BMIや喫煙、社会経済的要因なども含めて調整すると1.36(95%信頼区間1.16~1.59)に減少しました。リスク差で見ると0.29ポイント(0.16~0.43)から0.23ポイント(0.10~0.36)への変化です。絶対的なリスク上昇そのものは大きくありませんが、相対的にはおよそ3~5割高いことになります。

2型糖尿病については、リスク差が1.24ポイント(0.97~1.52)から0.75ポイント(0.50~1.00)へ、リスク比が1.58(1.45~1.71)から1.34(1.23~1.46)へと、調整後も明確な差が残りました。心不全は、リスク差0.21ポイント(0.07~0.34)から0.15ポイント(0.02~0.28)、リスク比1.35(1.14~1.61)から1.25(1.04~1.49)という結果でした。脳梗塞などの脳虚血性病態については、不妊群でわずかにリスクが高い傾向が見られたものの、背景因子を調整すると統計的に明確な差とは言えなくなりました(調整後のリスク比1.10、95%信頼区間0.95~1.27)。

これまでの研究との比較──一貫する「安心材料」と新たな課題

過去の研究の多くは、ARTを受けて出産した女性の心血管疾患リスクが特に高いとは報告していませんでした。カナダやスウェーデン、北欧諸国を対象とした追跡期間中央値11年程度の研究では、主要な心血管疾患の明確なリスク上昇は見られず、高血圧や脳卒中についてやや高いリスクを示唆する報告があった程度です。これまでで最大規模とされる北欧4か国・250万人を対象とした研究でも、凍結胚移植後にわずかな脳卒中リスクの上昇が見られた以外、ARTと心血管疾患の明確な関連は確認されていません。今回の研究は、これらの知見と整合する結果を示しつつ、脳虚血性病態のリスク上昇という点をより明確に示した点に意義があります。

2016年には40名を超える国際的な専門家が、不妊症とその後の心代謝系の健康との関連についてさらなる研究の必要性を指摘しています。北米からは、不妊を経験した女性で早期死亡や心血管・代謝疾患のリスクが高いとする一連の報告が続いており、男性についても精子の質の低下が慢性疾患や早期死亡のリスクと関連することが示されています。2025年1月には、米国心臓協会(American Heart Association)が不妊症と将来の心血管疾患リスクとの関連を認める科学的声明を発表しており、今回の研究は、これまでで最長となる追跡期間によって、この関連を支持する疫学的な根拠を加えるものといえます。

臨床的な意味・日本への示唆

臨床現場では、女性の心血管リスクを評価する際に、妊孕性(妊娠のしやすさ)や不妊の既往を確認することの重要性が、この研究結果からもうかがえます。逆に、不妊症が診療の中で明らかになった場合には、それを心血管系の評価につなげる視点も求められます。不妊を経験した女性に対しては、高血圧や脂質異常、インスリン抵抗性など、心血管疾患の前段階となりうる状態を早期に見つけるためのスクリーニングが有用である可能性があります。

日本では、生殖補助医療は保険適用の拡大とともに実施件数が増加しており、治療を受ける女性のその後の健康を長期的に見守る体制づくりが課題となっています。今回の結果は、ART自体への過度な不安を持つ必要は乏しいことを示す一方で、不妊治療をきっかけに見つかった健康上のリスク因子を、その後の内科的・循環器的なフォローにつなげる意義を示唆しています。生殖医療と循環器医療の連携は、まだ体系立った枠組みが少ない領域であり、今後の課題として位置づけられます。

研究の強みと限界

今回の研究の強みは、全国規模のレジストリデータを用いることで選択バイアスや想起バイアスの影響を抑えつつ、38万人という大規模な集団を最長30年間追跡した点にあります。妊娠成立の時点から追跡を開始することで、妊娠中や分娩後早期のリスクも含めた全体像を捉えている点、また脳梗塞などの脳虚血性病態と頭蓋内出血を区別して評価した点も特徴です。

一方で、いくつかの限界があります。ART群の人数は他の群に比べて少なく、リスクの推定精度には限りがあります。また、出産に至らなかったART治療の情報は含まれておらず、妊娠・出産に至った女性のみが解析対象となっている点にも注意が必要です。不妊を経験しながらARTを使わずに妊娠できた比較群には、健康状態が比較的良好な女性が選択的に含まれている可能性があり、その場合ARTのリスクは実際よりも高く見積もられている可能性があります。2型糖尿病の診断コードは1997年より前は1型・2型を区別しておらず、また外来診療の記録が十分でない時期のデータも含まれるため、一部の疾患分類には誤分類の可能性が残ります。加えて、この研究は2026年5月にmedRxivで公開されたプレプリントであり、正式な査読を経た論文ではない点にも留意が必要です。

おわりに

今回の研究は、ARTの使用が心血管疾患全般のリスクを明確に高めるとは言えないという、既存の知見を裏づける結果を示しました。唯一、脳梗塞などの脳虚血性病態については30年時点でリスク比1.43という上昇が観察されており、今後さらなる検証が求められます。同時に、ARTの使用有無にかかわらず、不妊を経験したこと自体が心筋梗塞や2型糖尿病、心不全のリスク上昇と関連していることも示されました。不妊症は、単独の症状としてではなく、女性の生涯にわたる心血管・代謝の健康状態を映すサインの一つとして捉えられる可能性があり、今後、不妊のタイプや原因ごとのリスクを解明する研究や、生殖医療と循環器医療の連携のあり方についての検討が期待されます。

参考文献

1. Mezzoiuso AG, Henriksson P, Radó M, Rodriguez-Wallberg K, Öberg AS.『Long-term risk of cardiovascular disease after assisted reproductive technology and infertility』medRxiv(プレプリント、査読前公開)2026. doi:10.64898/2026.05.18.26353477

なぜ繁殖を「我慢」するのか──近親交配への耐性が決める社会性不妊のかたち

協同繁殖(cooperative breeding)を行う脊椎動物の社会には、繁殖能力を十分に備えていながら、長期にわたって、あるいは生涯にわたって子を残さない個体が存在します。これらの劣位個体(subordinate)は、群れの中で他個体の子育てを手伝いながら、自らの繁殖を「我慢」しているように見えます。この現象は社会性不妊(socially induced infertility)、あるいは繁殖抑制(reproductive suppression)と呼ばれ、進化生物学において長らく説明を要するパラドックスとされてきました。健康で繁殖可能な個体があえて繁殖を控えることは、より多くの子孫を残す個体の遺伝子が優先的に後世へ伝わるという進化理論の予測と、一見すると矛盾するように映るからです。

血縁選択・包括適応度、生態的制約、繁殖の偏り(reproductive skew)モデルなど、繁殖抑制がなぜ進化したのかを説明する仮説はこれまでに複数提示されてきましたが、実現メカニズムがなぜ種によってこれほど多様なのかには十分に答えていません。種によっては視床下部下垂体性腺系(HPG軸)そのものが慢性的に抑制され、排卵や精子形成が止まる「生理的抑制」が起こる一方、別の種では劣位個体の生殖機能は正常に保たれたまま、近親交配の回避や追放といった「行動的抑制」だけで繁殖が制限されています。この多様性に新たな説明軸を示したのが、Trends in Ecology & Evolution誌(2026年)に掲載されたオピニオン論文です(DOI: 10.1016/j.tree.2026.07.007)。近親交配(インブリーディング)への耐性の種間差が、繁殖抑制の「かたち」そのものを規定するという仮説を提示し、アフリカデバネズミ科をはじめとする哺乳類・鳥類・魚類の事例を横断的に検証しています。

アプローチ──アフリカデバネズミ科という「自然の実験室」で理論を検証する

このオピニオン論文の骨子は、既存の進化理論を否定せず、それらを統合する形で新しい選択圧を提案する点にあります。協同繁殖する社会では血縁個体同士が長期間同居し、分散が遅れることで近親個体間の交配機会が構造的に増えます。この状況は、近交弱勢(inbreeding depression)による適応度低下のリスクと、繁殖をめぐる群れ内対立のリスクを同時に生み、その対処の仕方が近親交配への耐性の高低によって分岐すると論文は論じています。検証の材料は、単独性から真社会性(eusocial)まで社会システムの幅が広いアフリカデバネズミ科(Bathyergidae)です。協同繁殖する同科の種はいずれも、繁殖を独占する1頭の女王と、生涯繁殖しないことも多い劣位個体という構造を共有しており、種間比較に適しています。論文は複数種の野外・室内データに、鳥類・霊長類・食肉類・魚類の既報の内分泌学的知見もあわせて検討する比較生物学的レビューの形をとっています。

からだの「オフスイッチ」と、行動の「ブレーキ」――二つの抑制メカニズム

論文はまず、社会性不妊が実現される二つの経路を明確に区別しています。一つは生理的抑制(physiological suppression)で、優位個体からの社会的シグナルを引き金にプロラクチンが上昇し、視床下部のキスペプチン・GnRH分泌、下垂体の性腺刺激ホルモン(LH・FSH)分泌、性腺の活動をいずれも低下させます。この状態の個体は生殖機能そのものが働かず、抑制の開始・解除ともに比較的長い時間を要します。もう一つは行動的抑制(behavioural suppression)で、HPG軸は正常に機能したまま、優位個体による支配関係や近親交配の回避、交尾後の追放や子殺しといった社会的制約によって繁殖の機会そのものが制限されます。この経路の個体は生殖能力を保持したまま繁殖を「我慢」しているにすぎず、制約が取り除かれれば速やかに繁殖を再開できます。

論文の中心的な主張は、種がどちらの経路を進化させるかは近親交配への耐性によって予測できるというものです。近親交配が比較的容認される種(高耐性)では、血縁個体間の繁殖競合を確実に封じ込める手段として強力な生理的抑制が選択されやすく、耐性が低く近交弱勢の影響が大きい種では、生殖能力を温存したまま血縁のない相手との交配機会を待つ行動的な抑制メカニズムが選択されやすいと位置づけられています。

近交係数0.125が分かれ目に――アフリカデバネズミ科に見る対照的な戦略

論文では、近親交配への耐性を定量的に区分するための目安として、近交係数(f)が用いられています。全同胞や親子間の交配に相当するf > 0.125の近親交配が実際に見られ、集団内で検出可能な近親交配の割合が33%を超える種は「高耐性」、f > 0だが0.125未満にとどまる、より緩やかな近親交配しか見られない種は「低耐性」と定義されています。

この耐性の高低が最も鮮やかに現れるのが、乾燥地に生息しコロニー外への単独分散がきわめて危険なハダカデバネズミ(Heterocephalus glaber)です。近親交配への耐性が野外・室内の双方で極めて高く、コロニーは同胞や親子のペアによって創設されることが珍しくなく、近交弱勢の兆候を示さないまま数十年単位で存続する大規模コロニーを形成する例も報告されています。同時に、劣位個体が雌雄とも生涯にわたり生殖機能を活性化させない、哺乳類の中でも極めて徹底した生理的抑制(プロラクチン濃度上昇と関連)が見られ、コロニーの安定維持に本質的な役割を果たしています。女王がしばしば同胞や自分の子によって地位を奪われると、コロニー内部で激しい対立が生じ社会構造が急速に崩壊することも報告されており、耐性の高い集団で繁殖規制が働かなくなった際の不安定化リスクを示しています。単独分散が可能な近縁のハイフェルドデバネズミでも耐性は高く保たれ、強い生理的抑制が維持されています。

中間的な戦略を示すのがダマラランドデバネズミ(Fukomys damarensis)で、雌の劣位個体は強い生理的抑制を受ける一方、雄の劣位個体は生殖能力を保持したまま行動的に制限され、中程度の耐性とアウトブリーディング機会の多さのバランスを反映すると考えられています。対照的にナタールデバネズミ(Cryptomys hottentotus natalensis)は野外・飼育下いずれでも耐性がほとんどなく、繁殖の規制は血縁認知に基づく近親交配の回避など行動的なメカニズムが主体です。劣位個体は完全な生殖能力を保持しており、この種の不妊は固定的な生理状態ではなく可逆的な社会的状態として理解すべきだと論文は位置づけています。

デバネズミだけではない――哺乳類・鳥類・魚類にも広がるパターン

論文は、この対応関係がアフリカデバネズミ科に限定されない可能性も示しています。霊長類では、中程度の耐性を持つコモンマーモセット(Callithrix jacchus)でプロラクチン上昇を伴う強い生理的排卵抑制が見られる一方、耐性が低く明確な近交弱勢も確認されているゴールデンライオンタマリン(Leontopithecus rosalia)では抑制がより不完全で主に行動的です。マングース科では、比較的高い耐性を示すドワーフマングース(Helogale parvula)がより強い生理的抑制の傾向を示して枠組みと整合するのに対し、バンデッドマングース(Mungos mungo)は高い近親交配率にもかかわらず生理的抑制の証拠が乏しい例外として紹介されています。鳥類のシロボウシハタオリ(Plocepasser mahali)や魚類のシクリッドの一種(Neolamprologus pulcher)でも、耐性とプロラクチンを介した生理的抑制の組み合わせが確認されており、哺乳類・鳥類・魚類を通じて、近親交配が容認される種では生理的な抑制が、容認されない種では行動的抑制が優勢になるという一貫した傾向が見えてくると論文は結論づけています。

臨床的意味・日本への含意

日本の生殖医療の現場で扱われる近親交配のリスク評価は、主にヒトを対象とした近交弱勢の疫学データに基づいており、今回のオピニオン論文は動物種の比較研究であるため、そのままヒトの臨床現場に適用できるものではありません。ただし、視床下部下垂体性腺系の抑制やプロラクチンを介した生殖内分泌の調節経路は哺乳類に広く保存されており、社会的ストレスが生殖内分泌軸に及ぼす影響を考える比較生物学的な参照点にはなり得ます。日本では、生殖補助医療における配偶子提供の確認や近親者間の遺伝カウンセリングの場面で近交弱勢に関する説明が行われる機会があり、種によって耐性と生殖規制メカニズムが大きく異なるという今回の視点は、近親交配のリスクを画一的に語ることの限界を示すものとしても参照できます。

研究の強みと限界

論文の強みは、近縁でありながら社会システムと近親交配耐性が大きく異なる種を含むアフリカデバネズミ科を用いて比較可能な軸を導入し、哺乳類・鳥類・魚類にまたがる証拠を統合して検証可能な予測を提示した点にあります。一方で、近親交配の定量指標が種を超えて統一されていないこと、比較データの大部分が哺乳類、とりわけアフリカデバネズミ科に偏っていること、耐性と抑制メカニズムのどちらが進化的に先行したのかが未検証であることなど、限界も明記されています。バンデッドマングースのように枠組みから外れる例の存在も、この仮説が万能ではないことを示しています。

おわりに

社会性不妊は、進化生物学において長く未解決のまま残されてきたパラドックスです。今回のオピニオン論文は、近親交配への耐性という切り口を導入することで、繁殖抑制がなぜ進化するかだけでなく、生理的抑制と行動的抑制のどちらが選択されるかというメカニズムの多様性に説明を与える統一的な枠組みを提示しました。行動、生理、遺伝的構造を一つの進化軸に統合するこの視点は、近親交配・繁殖競合・協同繁殖という複雑な社会現象を理解するための新たな出発点になると位置づけられています。

参考文献

1. Hart, D.W. and Bennett, N.C.『Inbreeding tolerance predicts mechanisms of socially induced infertility in vertebrates』Trends in Ecology & Evolution 2026;(in press). doi:10.1016/j.tree.2026.07.007

2. Bennett, N.C. et al.『Socially induced infertility in naked and Damaraland mole-rats: a tale of two mechanisms of social suppression』Animals 2022;12:3039. doi:10.3390/ani12213039

3. van Vuuren, A.K.J. et al.『Hormonal lockdown: how mole-rat societies enforce infertility in helpers』Horm. Behav. 2025;176:105836. doi:10.1016/j.yhbeh.2025.105836

4. Faulkes, C.G. and Bennett, N.C.『Social evolution in African mole-rats—a comparative overview』In The Extraordinary Biology of the Naked Mole-Rat (Buffenstein, R. et al., eds), 2021;pp.1-33, Springer.

5. Nichols, H.J. et al.『Evidence for frequent incest in a cooperatively breeding mammal』Biol. Lett. 2014;10:20140898. doi:10.1098/rsbl.2014.0898

6. Fitzpatrick, J.L. et al.『Male reproductive suppression in the cooperatively breeding fish Neolamprologus pulcher』Behav. Ecol. 2006;17:25-33. doi:10.1093/beheco/ari086

巨大化するIVF業界に問う──「持続可能な規模」という視点

体外受精(IVF)を含む生殖補助医療(ART)は、1978年に世界初のIVFによる出生児が誕生して以来、実験的な医療から高度に技術化・制度化された医療分野へと発展してきました。研究の関心は主に、卵巣刺激法や培養技術の改良を通じた妊娠率・生産率の向上に向けられてきた一方で、施設の組織構造やガバナンス(統治のあり方)が医療の質やアクセスの公平性、専門職の実践、そして施設の持続可能性にどう影響するかについては、これまで十分に議論されてきませんでした。

近年、複数の国でIVF施設の統合が進んでいます。独立した個人クリニックが、合併や買収を通じて大規模なネットワーク組織に組み込まれる動きが加速しており、その背景にはプライベートエクイティ(未公開株式)投資の流入があります。ある論者は、この変化を「臨床の言葉が金融とブランドの言葉に置き換えられていく新しい秩序」と表現しました。この構造転換は、「規模の拡大は医療の質や成果の向上につながるのか」「大規模施設は本当に効率的で革新的なのか、それとも専門職の自律性や患者との関係性を損なうリスクがあるのか」という根本的な問いを投げかけています。

こうした問いに正面から向き合った意見論文が、Reproductive BioMedicine Online誌の2026年(第53巻4号)に掲載されました。フランス・ナントの大学病院に所属する研究者を筆頭とする欧州の生殖医療専門家グループによる意見論文で、DOIは10.1016/j.rbmo.2026.105846です。小規模施設と大規模施設それぞれの強みと限界を検証したうえで、単一の「理想的な施設規模」を定義するのではなく、「持続可能な(または均衡のとれた)規模」という考え方を提案しています。

「年間1000周期」という物差しはもう通用しない

施設規模は従来、年間の治療周期数(たとえば年500周期未満か、1000周期超か)で定義されてきました。しかし、現代のART診療はこの単純な指標だけでは捉えきれなくなっています。全胚凍結(フリーズオール)戦略や妊孕性温存、着床前遺伝学的検査(PGT)の普及により、「1周期」が同じ重みを持つ標準的な活動単位ではなくなったためです。たとえば、染色体異数性を調べる着床前遺伝学的検査(PGT-A)を伴う周期は、通常のIVF周期に比べて、培養室での作業時間、遺伝カウンセリング、事務的な管理業務が大幅に増えます。単純な周期数は、施設が実際に担っている業務量や複雑さを正しく反映しないおそれがあるのです。

さらに、施設間の成功率の違いは、患者背景やサンプルサイズの影響を調整しなければ正しく解釈できません。オランダの全国コホート研究では、施設間で妊娠率に大きな差が見られたものの、患者特性と統計的な変動(サンプルサイズによるばらつき)を調整すると、その差はかなり縮小したと報告されています。小規模施設ほど、症例数が少ないために極端に高い、あるいは低い成功率が偶然生じやすいことも指摘されています。米国の生殖補助医療技術学会(SART)のデータを用いた分析でも、IVFの生産率は施設の治療周期数と一貫した関係を示さないものの、小規模施設ほど成績のばらつきが大きい傾向があるとされました。これは施設の質そのものの違いというより、統計的な効果として理解すべき現象だとされています。論文は「規模がそのまま質を保証するわけではない」としたうえで、「クリティカルマス(臨界規模)」という概念を、単純な周期数ではなく、人員体制の頑健性、検査室のインフラ、デジタルデータシステム、そして患者満足度を含む質管理プロセスの維持能力にまで広げて捉え直すべきだと論じています。

「大きいほど良い」は本当か──規模と成果の関係を検証する

生殖医療の分野には長らく、「症例数の多い高volume施設ほど、経験の蓄積によって成果が優れている」という根強い考え方がありました。しかし現時点のエビデンスは、施設規模と生産率のあいだに一貫した因果関係を示していません。大規模ネットワークに買収された施設で成績が改善したとする研究もありますが、その変化は規模の拡大そのものというより、プロトコルの標準化や品質管理システムの導入によるところが大きいと分析されています。同様の効果は民間セクターに限らず、国の診療ガイドラインや規制の枠組みによっても、公的医療システムの中で同じような標準化が達成されうるとされ、施設規模そのものよりもガバナンスや調整の仕組みのほうが重要である可能性を示唆しています。

一方で、大規模ネットワークにはベストプラクティスの共有やベンチマーキングを施設間で進めやすいという利点もあります。米国では、継続的に高い成績を上げているIVFプログラムに共通する検査室・臨床の実践があり、それはデータの継続的なモニタリングを通じて磨かれてきたことが報告されています。ただし、行き過ぎた標準化にはリスクも伴います。論文が例に挙げているのは、男性因子不妊がないケースへの顕微授精(ICSI)の適用が、明確な根拠がないまま広がってきた経緯や、特定の状況下でのPGT-Aの普及、そして患者ごとの特性が異なるにもかかわらず同じ卵巣刺激プロトコルが画一的に用いられる傾向です。

アクセスの面では、ネットワークの拡大によってサテライトクリニックが増え、通院距離が短縮される利点が報告される一方、検査室の集約化が進むと採卵などの重要な処置の際にかえって移動の負担が増える場合もあると指摘されています。そして、患者中心のケアは施設の規模そのものよりも、組織のあり方やコミュニケーションの実践に左右されるとされています。感情面での支援、ケアの継続性、明確な説明は、治療中の患者満足度と心理的well-beingを左右する最も強い要因とされています。

大規模施設の強みと課題

大規模施設の主な強みは、規模の経済と検査室業務の効率化にあるとされています。活動基準原価計算(activity-based costing)を用いた経済分析では、年間数千周期を扱う高volume施設に比べ、低volume施設では検査室の限界費用が大幅に高くなることが示されています。人員面でも、大規模施設はスタッフの余裕(冗長性)を確保しやすく、胚培養士が胚生検やガラス化保存、タイムラプスモニタリングといった特定の技術に習熟する「サブスペシャリゼーション」の機会も生まれやすくなります。蓄積される大規模なデータは、ベンチマーキングや研究への参加、継続的な質改善にも活用されます。

一方で、規模の拡大は組織上の課題も伴います。大きな組織では、臨床や検査室の実践を変更する際に複数の承認階層を経る必要があり、変化や技術革新のスピードが鈍る可能性があります。また、財務・運営部門の意向が戦略的な意思決定により強く反映されるようになるにつれ、臨床家や胚培養士が、科学的・臨床的な判断が調達や技術導入の決定において軽視されていると感じる場面も出てきているとされます。患者側も、大規模な組織を事務的で人間味に欠けると感じることがありますが、丁寧に設計されたケアの導線や専任のコーディネーターの配置によって、こうした懸念は緩和できるとされています。

小規模施設の強みと課題

小規模施設の強みは、地域に根ざした身近さと、一貫したチームによる温かみのある個別化されたケア環境にあります。治療期間を通じて同じ担当者と関わり続けられることは、大規模で画一化された環境では再現しにくい信頼関係やコミュニケーションを育み、臨床家・胚培養士が個々の症例に直接目を配ることを可能にします。組織階層がフラットであるため、臨床や検査室の実践における意思決定も迅速かつ柔軟に行いやすく、現場発の技術革新を後押しし、生殖医療がもともと持っていた強い科学的文化を保つ土壌にもなります。

他方で、小規模施設は構造的な制約にも直面します。財務面の制約から、高額な技術やデジタル基盤、自動化システムへの投資が難しい場合があります。人員面での余力も限られるため、スタッフの急な欠員などに対する脆弱性も相対的に高くなりがちです。経済分析では、患者一人あたりの治療コストは症例の複雑さによって大きく変動しうることが示されており、大規模施設はこうした変動を高い症例数によって吸収しやすい一方、小規模施設は症例構成の変化による財務的な影響をより強く受けやすいとされています。ただし、患者単位のコスト変動と小規模施設の構造的な脆弱性を直接結びつけるエビデンスは限られており、この点は慎重に解釈すべきだと論文は付け加えています。

資本の力が変えた「サイズ」の意味

ART分野が成熟するにつれ、従来の「小規模」対「大規模」という区分よりも、「独立系」対「ネットワーク系」という区分のほうが実態に即したものになりつつあります。チェーン化には、資本投資へのアクセスや、調達・法務・人事といった管理業務の集約化・共通インフラ化など、明確な利点があり、業務効率の向上や新技術の迅速な導入を促進しうるとされています。

しかしその一方で、企業化はガバナンスの力学そのものを変える可能性があります。歴史的に、生殖医療の進歩は検査室発のイノベーションと臨床家主導の試行錯誤から生まれてきました。過度な集中化と標準化が進み、現場の裁量や明確なリーダーシップが失われれば、こうしたボトムアップ型の技術革新が制約されかねません。論文は、生産性や財務指標が重視される業界の潮流に触れつつ、経済的な持続可能性は重要であるとしながらも、科学的な発展と研究への強いコミットメントを維持することが長期的な進歩に不可欠だと強調しています。中央でのコーディネーションと、現場の科学的・医療的リーダーシップの明確な権限領域を組み合わせる「適応型ガバナンス」がバランスの取れたアプローチになりうるとも述べられています。大規模施設が規模と個別化されたケアを両立させる方法としては、少人数の専任多職種チームが患者を継続的に担当する「ポッド(小チーム)型」のケアモデルが挙げられています。最終的に、質を左右するのは規模そのものよりも、リーダーシップの価値観とガバナンス構造だと論文は結論づけています。

臨床的意味・日本への含意

日本のART提供体制は、欧米で進むようなプライベートエクイティ主導の統合とは異なる文脈にあります。個人クリニックが中心を占める一方で、高volumeの大規模施設も一部に存在しており、施設規模の多様性そのものは共通しています。2022年4月に体外受精を含む一部の不妊治療が公的医療保険の適用対象となったことは、この論文が指摘する「国の診療ガイドラインや規制の枠組みが、施設規模によらない標準化をもたらしうる」という論点と重なる部分があります。保険適用に伴う診療内容の標準化は、施設間の成績のばらつきを一定程度均す効果を持ちうる一方で、論文が警鐘を鳴らす「過度な標準化による現場の裁量の縮小」というリスクとも表裏一体である点に留意が必要です。

また、施設選びに際して患者が重視しやすい「症例数」や「規模」という指標が、必ずしも医療の質を直接反映するものではないという論文の指摘は、日本の臨床現場でも情報提供のあり方を考えるうえで参考になります。施設のウェブサイトや口コミで示される治療実績の数字を、患者背景の違いを踏まえずに単純比較することの限界を、診療の場で丁寧に説明する必要性は今後も変わらないと考えられます。

研究の強みと限界

この論文は、無作為化比較試験やコホート研究のような一次データを伴う実証研究ではなく、欧州の生殖医療専門家グループによる意見論文(オピニオンペーパー)です。著者ら自身も、施設の組織的な規模と生産率や患者報告アウトカムとを直接結びつける質の高い比較エビデンスが乏しいことを明記しています。本稿で紹介した知見の多くは、既存の限られた研究や経済分析、専門家の臨床的知見に基づく論考であり、因果関係を証明するものではない点に注意が必要です。著者の所属は欧州の大学病院や、複数国でクリニックを展開する国際的な生殖医療ネットワークに及んでおり、利益相反の申告は「なし」とされていますが、著者構成自体が特定の業界動向を意識したものである可能性も踏まえて読む必要があります。また、議論の多くは欧米、特に米国・欧州の医療制度や市場構造を前提としており、公的医療制度の枠組みが大きく異なる日本にそのまま当てはめるには限界があります。

おわりに

IVF施設の規模は、組織のあり方や運営の力学に影響を与える要因ではあるものの、それ自体を臨床の質の直接的な指標とみなすべきではないと、論文は結論づけています。現時点のエビデンスに基づく限り、成功率を左右する主な要因は、周期数そのものよりも、患者背景、臨床・検査室の実践内容、そして統計的な変動であるとされています。統合や大規模ネットワーク化は業務効率化や標準化をもたらしうる一方で、科学的なリーダーシップ、専門職の自律性、患者中心のケアとのバランスをどう保つかが今後の課題として残されています。生殖医療がデータ駆動型の医療へと進むにつれ、技術的なばらつきは縮小していく一方、関係性や倫理面でのケアの質は施設を差別化する要素としてこれまで以上に重要になっていくと予測されています。小規模施設にも大規模施設にも、多様な生殖医療の生態系の中で果たすべき役割があり、科学的な誠実さと技術革新、そして患者からの信頼と臨床成果を守りながら「持続可能な規模」を実現するガバナンスモデルを見いだしていくことが、今後の課題として提示されています。

参考文献

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たった60分の講義で──女子大学生712人の「妊娠適齢期」誤解が塗り替わった

日本の合計特殊出生率は2024年時点で1.4と、先進国の中でも低い水準にあります。不妊治療への保険適用拡大や、東京都をはじめとする自治体による社会的卵子凍結への助成など、生殖医療をめぐる制度は近年大きく動いていますが、その一方で、若い世代がどこまで正確な妊孕性(妊娠する力)の知識を持っているかは、十分に明らかにされていません。

オーストラリア、スウェーデン、米国など海外の複数の調査では、生殖年齢にある人々の妊孕性に関する知識が限定的であることが繰り返し報告されてきました。年齢とともに妊孕性が低下すること自体は比較的知られている一方、喫煙や肥満、過度な飲酒やストレスといった他の要因についての理解は乏しいままです。しかし、日本の非医療系大学生を対象にした知識調査は少なく、教育介入の効果を検証した研究はさらに限られています。

こうした状況を背景に、Journal of Obstetrics and Gynaecology Research誌の2026年号(doi:10.1111/jog.70425)に、愛知県内の非医療系大学2校で実施された、60分の生殖健康講義に関する調査結果が報告されました。2014年から2018年にかけて、生殖医療を専門とする医師による同一内容の講義を受けた20〜29歳の女子学生712人を対象に、講義の前後で無記名アンケートを実施し、妊娠・不妊に関する知識や意識がどう変化したかを検証しています。

方法──女子学生712人に、講義の前後でアンケートを実施

対象は、2014〜2018年に愛知県内の非医療系大学2校で60分間の生殖健康講義を受講した20〜29歳の女子学生です。講義は同一の医師が同一のスライドを用いて行い、生殖の基礎生理、年齢による妊孕性低下、喫煙などの生活習慣因子との関連を扱いました。生殖補助医療(卵子提供治療など)には踏み込まず、月経不順や性機能の異常があれば医療機関を受診するよう勧める内容も含まれていました。

講義の前後で同一内容の選択式アンケートを匿名で実施し、年齢の不整合や未回答が多いものを除いた712件を解析対象としました。参加者の年齢中央値は20歳(四分位範囲20〜21歳)でした。統計解析にはWilcoxon符号順位検定を用い、有意水準はp<0.05としました。

「55歳でも妊娠できる」と思っていた学生が、約半数から4人に1人へ

「女性が妊娠できなくなるのは何歳頃だと思うか」という問いに対し、講義前は334人(46.9%)が「55歳以上」と回答していました。実際には女性の妊孕性は35歳前後から低下が加速し、40歳を過ぎると自然妊娠は大きく難しくなるとされていますが、約半数の学生が実際よりかなり高い年齢まで妊娠可能だと考えていたことになります。講義後、この回答は192人(27.0%)まで減少し(p<0.01)、推定年齢の分布全体もより実態に近い方向へシフトしました。

STD、体重、喫煙……「不妊のリスク要因」の理解が軒並み上昇

不妊の危険因子に関する9つの知識項目でも、講義前後で明確な変化がみられました。性感染症が不妊の原因になりうると答えた学生は74.7%から89.7%へ、過体重については51.3%から94.2%(約1.8倍)、低体重は87.8%から96.3%、喫煙は80.6%から96.6%、過度な飲酒は70.1%から86.1%、運動不足(「運動は妊孕性を改善しうるか」)は33.0%から54.8%(約1.7倍)へと、いずれも統計学的に有意な改善を示しました(すべてp<0.01)。「不妊は必ず治療できるか」という設問では、実際には治療に限界があるため中立的な理解が望ましいところ、「どちらともいえない」を選んだ学生は26.5%から34.6%へ増加しています。

「不妊は女性だけの問題」という誤解にも変化

「不妊は女性だけに起こる」という誤った考えに対して否定的な回答(「あまりそう思わない」「全くそう思わない」)をした学生は59.8%から76.3%へ増加しました(p<0.01)。同様に、「不妊は高齢者だけに起こる」という誤解についても、「全くそう思わない」と回答した学生は45.2%から55.2%へ増加しています(p<0.01)。不妊には男性側の要因も関与し、年齢を問わず起こりうるという基本的な理解が、短時間の講義でも広がったことがうかがえます。

「卵巣予備能」という言葉、知っていたのはわずか0.6%だった

卵巣に残された卵子の量と質を示す「卵巣予備能」という概念については、講義前に「よく知っている」と答えた学生はわずか4人(0.6%)にとどまっていました。講義後にはこれが444人(62.4%)へと大きく増加し(p<0.01)、「卵巣予備能は加齢とともに減少する」と正しく理解した学生も11.7%から78.5%(約6.7倍)へ増えました。自分自身の卵巣予備能を知りたいと望む学生も12.9%から76.4%(約5.9倍)に増加し、必要であれば配偶子(卵子や精子)の凍結保存を希望すると答えた学生も12.4%から41.0%(約3.3倍)に増えています。一方、卵巣予備能が低い場合でも治療で改善できると考える学生が講義後には約半数に達しており(p<0.05)、治療の限界について正確に理解してもらうことの難しさも示されました。

「子どもは欲しいか」は変わらなかったが、「いつから」は早まった

子どもを持ちたいと思うかどうか、また希望する子どもの人数については、講義前後で統計学的に有意な変化はみられませんでした。一方で、子どもを持ち始めたいと考える年齢、持ち終えたいと考える年齢は、いずれも講義後に有意に若い方向へシフトしていました(p<0.01)。論文では、もともと参加者が希望していた出産年齢が比較的若かったことに加え、講義自体が早期の妊娠・出産を推奨する内容ではなかったことが、大きな変化につながらなかった理由として考察されています。生殖に関する意思決定は、キャリアや個人の価値観を含めて本人が判断すべきものであり、講義は知識を補うことを目的としていたと位置づけられています。

日本では、卵子凍結の現実的なハードルも共有されている

論文の考察部分では、卵巣予備能や卵子凍結保存への関心の高まりに触れつつ、実際の卵子凍結の成績についても言及されています。計画的に卵子を凍結保存した女性のうち、実際に凍結卵子を使用したのは約11%にとどまり、1人あたりの生児獲得率は28%と報告されています。年齢別にみると、35歳未満で凍結した場合の成功率は52%である一方、40歳以上では19%まで低下するとされています。米国など卵子凍結が比較的普及している国では年齢制限や保存期間の制限がない場合が多いものの、費用は7000〜20000米ドル程度と高額であり、こうした生物学的・経済的な制約を正確に伝えることの重要性が指摘されています。日本の臨床現場でも、卵巣予備能を示すバイオマーカーである抗ミュラー管ホルモン(AMH)を健康診断に組み込むことや、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)や子宮内膜症といった婦人科疾患についての教育を広げることが、早期の婦人科受診や妊娠前ケアへの関心につながる可能性があるとされています。

研究の強みと限界

本研究の強みは、712人という比較的大きな集団を対象に、同一の講師・同一の教材を用いることで教育内容の一貫性を確保した点にあります。一方で限界もいくつか挙げられています。対象が愛知県内の非医療系大学2校に限られており、結果の一般化には注意が必要です。また、評価されたのは講義直後の知識変化のみであり、長期的な知識の定着や実際の行動変化は検証されていません。さらに、講義が実施されたのは2014〜2018年で、日本における不妊治療の保険適用拡大や卵子凍結への助成制度の拡充より前の時期にあたるため、現在の学生の妊孕性知識の基礎水準は当時と異なっている可能性があります。加えて、アンケート項目には正解が定められた知識項目と、正解のない意識・態度項目が混在しており、後者の変化は知識の向上というより、理解や態度の変化として解釈すべきだとされています。

おわりに

今回の調査は、たった1回・60分という短い教育介入でも、非医療系大学生の妊娠・不妊に関する知識や、卵巣予備能への関心を有意に高めうることを示しました。子どもを持ちたいという意思そのものは大きく変わらなかった一方、妊娠・出産を考える年齢はより早い方向へシフトしており、正確な情報が意思決定に一定の影響を与えうることも示唆されています。学校教育の中で生殖に関する体系的な学びの機会が限られている現状を踏まえ、一般大学のカリキュラムに生殖健康教育を組み込むことが、若い世代が将来の生殖に関する選択を主体的に行ううえで役立つ可能性があるとされています。長期的な知識の定着や行動変容を検証する今後の研究が期待されます。

参考文献

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子ども時代の逆境は、出産数を「減らす」とも「増やす」とも関係していた──ノルウェー2.7万人が示した複雑な軌跡

子ども時代の虐待や家庭の機能不全といった逆境体験(Adverse Childhood Experiences、ACE)は、成人後の心血管疾患や精神疾患など、幅広い健康リスクと関連することが知られている。一方で、こうした逆境体験が妊娠・出産という生殖に関わる領域にどう影響するのかについては、これまで十分に整理されてこなかった。

先行研究が示す関連は一様ではない。ACEは、若年での出産や計画外妊娠、将来子どもを持ちたいという意欲の高まりと結びつき、出産数を押し上げる方向に働く可能性が指摘される一方で、不妊や流産、妊娠合併症のリスク上昇を介して出産数を押し下げる可能性も報告されてきた。出産数・不妊・妊娠合併症は互いに関連し合う指標であるにもかかわらず、同一集団内でこれらを同時に検証した研究はこれまで存在しなかった。

こうした背景のもと、Fertility and Sterility誌(2026年)に、ノルウェーの大規模住民コホートであるHUNT研究のデータを用いた横断研究が掲載された。子ども時代の逆境体験と、出産数・不妊・妊娠合併症(妊娠糖尿病、妊娠高血圧症候群、早産、低出生体重児)との関連を、27,259人という規模で検証した内容である(doi:10.1016/j.fertnstert.2026.07.019)。

方法──ノルウェーの住民コホートを、出生登録データとつないだ

対象は、ノルウェー・トロンデラーグ県で1984年から続く住民コホート研究「HUNT研究」の第3回調査(2006〜2008年)および第4回調査(2017〜2019年)に参加した、1950年以降生まれの女性である。HUNTの個人識別番号を用いて、ノルウェー医療出生登録(MBRN、1967年以降の全出生を記録)のデータと連結された。子ども時代の質に関する情報が欠けていた194人を除く27,259人が出産数の解析対象となり、不妊についての情報も揃った22,071人、妊娠合併症についての情報も揃った23,083人が、それぞれの解析に用いられた。

子ども時代の逆境は、HUNT研究のために開発された「困難な子ども時代質問票」(DCQ)によって自己申告で評価された。具体的には、①子ども時代の質についての主観的評価、②両親の離婚、③親の死、④機能不全な家庭環境、⑤つらい子ども時代の記憶に苦しんでいるか、⑥信頼できる大人の不在、という6項目である。これとは別に、身体的・心理的・性的暴力やいじめなど、より具体的な逆境体験の個数を数える「ACE合計スコア」も算出され、0個・1〜3個・4個以上の3群に分けて、量反応関係(逆境体験が多いほどリスクが高まるかどうか)の検証にも用いられた。出産数は、無出産・1回・2回・3回・4回以上の5区分に分類され、不妊は「1年以上妊娠を試みても妊娠に至らなかった経験」の有無として自己申告で把握された。妊娠合併症については、初回の単胎出産(妊娠20週以降)を対象に、MBRNの登録データから妊娠糖尿病、妊娠高血圧症候群、早産(妊娠37週未満)、在胎不当過小児(SGA、体重が在胎週数・性別ごとの標準の10パーセンタイル未満)が調べられた。

無出産と多産、両方向のオッズが上昇した

解析対象27,259人のうち1,712人(6.3%)が、子ども時代について「困難だった」と回答した。子ども時代を困難と報告した女性は、教育年数が短く、婚姻・同居のパートナーがいない割合が高く、喫煙経験や糖尿病・心血管疾患の既往も多かった。

出産数との関連をみると、子ども時代の困難、機能不全な家庭環境、つらい記憶への苦しみ、信頼できる大人の不在は、いずれも無出産・1回出産・4回以上出産のオッズを高めるという、共通したパターンを示した。特に強い関連が見られたのは、子ども時代の困難と無出産(オッズ比1.83、95%信頼区間1.58〜2.11)、つらい記憶への苦しみと無出産(1.81、1.55〜2.13)である。一方、親の離婚は出産数と有意な関連を示さなかった。親の死は、無出産と1回出産のオッズを高めていた。

さらに、ACE合計スコアで見ると明確な量反応関係が確認された。4個以上のACEを経験した女性は、ACE経験のない女性と比べて、無出産のオッズが2倍以上に高まっていた(オッズ比2.39、95%信頼区間1.92〜2.99)。つまり子ども時代の逆境は、出産数を減らす方向にも増やす方向にも働きうるという、一見矛盾する結果が同時に観察されたことになる。研究チームは、これは逆境を経験した女性たちの中に異なる生殖行動の経路が存在することを反映している可能性があると考察している。不妊や流産による出産数の減少と、若年での妊娠や計画外妊娠による出産数の増加という、方向の異なる2つの経路が混在しているという解釈である。ただし今回の研究では、妊娠喪失の経験や希望する子ども数についての情報がなく、この2つの経路を直接区別することはできなかった。

不妊のオッズは1.35倍、逆境体験が多いほど上昇

子ども時代の困難を報告した女性は、不妊のオッズが1.35倍(95%信頼区間1.17〜1.55)であった。両親の離婚、機能不全な家庭環境、つらい記憶への苦しみについても、同様に不妊のオッズ上昇との関連が見られた。年齢や初経年齢、教育レベル、BMI、喫煙歴といった要因を調整しても、この関連はほとんど変化しなかった。

ACE合計スコアで見ても量反応関係が確認され、4個以上のACEを経験した女性は、経験のない女性と比べて不妊のオッズが29%高かった(オッズ比1.29、95%信頼区間1.04〜1.60)。慢性的なストレスが視床下部-下垂体-副腎系を介して生殖ホルモンの調節や月経周期に影響を及ぼす可能性が、こうした関連の背景として挙げられている。

早産・低出生体重児は増えたが、妊娠糖尿病・高血圧症には関連なし

妊娠合併症については、子ども時代の困難、両親の離婚、親の死、つらい記憶への苦しみが、SGA(在胎不当過小児)のオッズを21〜36%高めていた。また、子ども時代の質の低さとつらい記憶への苦しみは、早産のオッズをそれぞれ25%、33%高めていた。この結果は、ACEと低出生体重・早産の関連を示した過去のメタ解析ともおおむね一致する。

一方、妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群については、子ども時代の逆境との明確な関連は見られなかった。研究チームは、この結果が先行研究の多く(特に米国発)と異なる背景として、ノルウェーが国民皆保険制度を持ち、ACEの有病率自体が米国より低いことや、対象集団の民族的多様性が乏しいことを挙げている。また、妊娠糖尿病の該当例が145件と少なく、統計的な検出力が限られていた可能性も指摘されている。なお、SGAや早産については出産数の解析で見られたような明確な量反応関係(ACEスコアが多いほどリスクが高まる関係)は確認されなかった。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本では、不妊治療や周産期管理の場面で、患者の子ども時代の背景まで踏み込んで評価する運用は一般的ではない。今回の結果は、不妊や早産・SGAといった生殖にまつわるアウトカムの背景に、子ども時代の逆境体験という、これまで見過ごされがちだった要因が関わっている可能性を示している。

臨床現場では、不妊治療を受けている患者に対して、生活習慣や年齢だけでなく、より広い人生経験を踏まえた個別化された関わりが求められる場面が今後増えていく可能性がある。ただし、今回の研究結果は「子ども時代に困難があったから不妊になる」という単純な因果関係を証明するものではなく、あくまで集団レベルでの関連を示したものである点には注意が必要である。個々の患者にとって、これは確率の話であって、運命を決めるものではない。

研究の強みと限界

本研究の強みは、27,259人という規模の大きさに加え、出産数・不妊・妊娠合併症という複数の生殖アウトカムを同一集団内で同時に検証した点、そして全国出生登録データとの連結によって高い精度の妊娠アウトカムを得ている点にある。

一方で限界も少なくない。第一に横断研究であり、子ども時代の逆境は成人後に自己申告で評価されているため、想起バイアスの影響を否定できない。第二に、逆境の時期や持続期間、深刻度についての詳細なデータが欠けている。第三に、今回の対象集団で「子ども時代が困難だった」と回答した割合は6.3%にとどまり、別のノルウェーの住民調査で報告された10.1%より低かった。HUNT研究の参加者は社会経済的地位が比較的高く、参加バイアスにより、実際の関連はより強い可能性がある。第四に、ノルウェーは民族的に比較的均質で医療アクセスも平等性が高い社会であり、社会経済的格差の大きい集団への一般化には注意が必要とされている。

おわりに

今回の研究は、子ども時代の逆境体験が、出産数・不妊・妊娠合併症という複数の生殖アウトカムに、複雑かつ長期的な影響を及ぼしうることを示すものである。逆境体験は出産数を減らす方向にも増やす方向にも働き、不妊のオッズを一貫して高め、早産やSGAとも関連していた一方、妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群との関連は認められなかった。研究チームは、こうした知見が、生殖に関する公衆衛生戦略や産科診療において、母親の人生経験全体を視野に入れる必要性を示すものだとしている。今後は、逆境体験の時期や深刻度を踏まえた前向き研究や、生殖への意欲・妊娠喪失の経験といった情報を含むより詳細な調査によって、さらなる検証が必要とされている。

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不妊は将来の心血管リスクのサインか──台湾の大規模コホートが示す関連

不妊は、妊娠のしにくさという生殖の問題にとどまらず、女性の将来の心血管疾患リスクを映し出す指標になり得るという見方が、近年の研究で少しずつ積み重ねられています。慢性的な軽度炎症や血管内皮の機能不全は、不妊の背景にもしばしば存在する一方で、動脈硬化を進行させ、虚血性心疾患や脳血管疾患のリスクを高める経路としても知られています。インスリン抵抗性についても、不妊女性で頻繁にみられ、メタボリックシンドロームや血管リスクを助長する要因として指摘されてきました。

ただし、不妊と心血管疾患の関連については、これまでの研究結果が一致しているわけではありません。米国の前向きコホート研究であるSWAN(Study of Women’s Health Across the Nation)では、不妊とメタボリックシンドロームや心血管イベントの発症との間に明確な関連は見出されませんでした。一方で、別の前向きコホート研究では不妊歴と心血管の健康状態との関連が報告されており、閉経後女性を対象とした研究でもアテローム動脈硬化性心血管疾患のリスクがやや高いことが示されています。こうした知見の食い違いを整理するには、より大規模で追跡期間の長いデータが必要とされていました。

こうした背景のもと、International Journal of Gynecology & Obstetrics誌(2026年)に、台湾の全民健康保険研究データベース(NHIRD)を用いた大規模な後方視的コホート研究が掲載されました。18〜50歳の女性を対象に、不妊の既往と脳血管疾患・心不全・虚血性心疾患という3つの心血管アウトカムとの関連を、20年以上にわたる追跡データから検証した内容です(doi:10.1002/ijgo.71234)。

方法──台湾の200万人規模データベースで、不妊と心血管疾患の関連を追跡した

対象は、台湾のNHIRDに含まれる200万人規模の代表サンプルのうち、2000年から2021年までのデータです。ICD-9-CMコード628またはICD-10-CMコードN97で不妊の診断記録がある18〜50歳の女性が不妊群とされ、不妊の診断がない女性の中から年齢を基準に4対1でマッチングした対照群が設定されました。18歳未満・50歳超の女性、2001年より前が指標日となる女性、指標日より前にすでに心血管アウトカムの診断がある女性は除外されています。

主要評価項目は、脳血管疾患(CeVD)・心不全(HF)・虚血性心疾患(IHD)を合わせた複合アウトカムで、外来2回以上または入院1回以上の診断記録により定義されました。年齢や所得水準、喫煙・肥満などの生活習慣要因、高血圧や糖尿病などの併存疾患、子宮内膜症、帝王切開・卵巣手術などの産科手術歴、クロミフェンやプロゲステロン・エストラジオールといった不妊治療薬の使用歴を共変量として調整したCox比例ハザードモデルに加え、これらの背景因子をそろえた1対1の傾向スコアマッチング(PSM)による解析も行われました。

複合アウトカムのリスクは、不妊群で15〜18%高かった

1対4の年齢マッチングにより、不妊群39,337人、対照群157,348人が解析対象となりました。平均年齢は両群とも31.92歳で一致しており、平均追跡期間は不妊群10.37年、対照群10.50年でした。子宮内膜症の有病率は不妊群で5.0%、対照群で1.2%と差があり、クロミフェンなど不妊治療薬の使用歴も不妊群で大きく上回っていました。これらの背景差を調整するため、20,974組を対象とした1対1の傾向スコアマッチングも別途実施され、主要な背景因子はいずれもよくそろっていました。

複合アウトカム(脳血管疾患・心不全・虚血性心疾患のいずれか)の発生率は、不妊群で10万人年あたり839.7件、対照群で677.3件でした。不妊群のリスクは、背景因子を調整した解析でハザード比(HR)1.15(95%信頼区間1.08〜1.21)、傾向スコアマッチング後の解析でHR 1.18(95%信頼区間1.10〜1.26)といずれも有意に高く、素朴な比較にとどまらず、年齢や併存疾患、薬剤使用歴を考慮しても一貫した関連が確認された形です。感覚的な言い方をすれば、不妊のある女性では、これらの心血管イベントが起こる確率が1〜2割ほど高いという結果になります。

虚血性心疾患と脳血管疾患で有意差、心不全では差が消えた

疾患別にみると、傾向はやや異なりました。脳血管疾患の発生率は不妊群で10万人年あたり258.0件、対照群で222.0件で、調整後のHRは1.12(95%信頼区間1.01〜1.24)、傾向スコアマッチング後のHRは1.18(95%信頼区間1.05〜1.33)と、いずれも統計学的に有意な関連が示されました。虚血性心疾患では、発生率が不妊群567.2件、対照群440.9件と差が最も大きく、調整後HR 1.15(95%信頼区間1.08〜1.24)、傾向スコアマッチング後HR 1.20(95%信頼区間1.10〜1.30)と、こちらも一貫して有意な関連が認められています。

一方、心不全については、発生率こそ不妊群95.7件、対照群84.4件とわずかに高く、未調整の解析ではHR 1.13(95%信頼区間1.02〜1.26)と有意でしたが、背景因子を調整した解析ではHR 1.02(95%信頼区間0.87〜1.20)、傾向スコアマッチング後もHR 1.06(95%信頼区間0.87〜1.30)といずれも有意差が消失しました。全体として、不妊と心血管疾患の関連は、脳血管疾患と虚血性心疾患において比較的明確であり、心不全ではその関連が背景因子によって説明される部分が大きいことがうかがえます。

35歳以上でより明確に──若年層では傾向スコア調整後に有意差が消える

年齢層別のサブグループ解析では、関連の強さに違いがみられました。18〜34歳の女性では、調整後の解析で複合アウトカム(HR 1.13、95%信頼区間1.04〜1.22)や虚血性心疾患(HR 1.13、95%信頼区間1.02〜1.25)に有意な関連が認められたものの、傾向スコアマッチング後にはいずれの項目も有意差が消失しました(複合アウトカムHR 1.08、95%信頼区間0.99〜1.19)。

これに対して35〜50歳の女性では、より一貫した関連が示されています。複合アウトカムは調整後HR 1.17(95%信頼区間1.08〜1.27)、傾向スコアマッチング後HR 1.22(95%信頼区間1.10〜1.35)、虚血性心疾患は調整後HR 1.19(95%信頼区間1.08〜1.31)、傾向スコアマッチング後HR 1.24(95%信頼区間1.10〜1.40)と、いずれも有意な関連が保たれました。脳血管疾患についても、傾向スコアマッチング後の解析でHR 1.23(95%信頼区間1.03〜1.47)と有意な関連が確認されています。研究チームは、この年齢による差について、不妊に伴う内分泌機能の異常やエストロゲン曝露の低下といった代謝・炎症面での影響が、十分な血管障害が蓄積した後になって初めて臨床的に表れる可能性を指摘しています。

子宮内膜症という共通の背景──炎症経路が橋渡しをしている可能性

不妊としばしば併存する子宮内膜症についても、心血管疾患との関連を検討した複数のメタ解析が存在します。2023年に発表された6つのコホート研究、25万人以上を対象としたメタ解析では、子宮内膜症が脳血管疾患(統合HR 1.17、95%信頼区間1.07〜1.29)と虚血性心疾患(統合HR 1.50、95%信頼区間1.37〜1.65)のいずれのリスク上昇とも関連することが示されています。より大規模な7研究・140万人超を対象とした最近のメタ解析でも、脳血管疾患(HR 1.19)や虚血性心疾患(HR 1.35)、主要有害心血管イベント(HR 1.15)との関連が確認された一方、心不全や全死亡との関連は認められませんでした。

今回の台湾コホートでは、不妊群の中で子宮内膜症の有無による心血管イベントの差は明確には検出されませんでしたが、これは追跡期間が比較的短いことや、不妊という枠組み全体の中で子宮内膜症固有のシグナルが目立ちにくくなっている可能性を反映していると考察されています。とはいえ、これまでの研究の蓄積は、子宮内膜症を独立した心血管リスク因子として支持する方向でおおむね一致しており、慢性的な全身性炎症が、子宮内膜症・不妊・心血管疾患をつなぐ共通経路である可能性が議論されています。

なお、体外受精などの生殖補助医療そのものが脳卒中や虚血性心疾患のリスクを高めるかどうかについては、研究間で結果が分かれています。8万7千人超の生殖補助医療実施女性を追跡した別の研究では、心血管疾患全般との有意な関連は認められておらず、これは治療対象があらかじめ健康状態のよい集団に偏りやすいことや、入院を伴うイベントのみを評価対象としたことが影響している可能性が指摘されています。一方、3100万件超の分娩入院データを用いた米国の研究では、周産期の脳卒中リスクが大きく上昇していましたが、これは排卵誘発に伴う急性の血栓形成傾向を反映したものであり、慢性的な長期リスクとは性質が異なると考えられています。今回のNHIRD研究は、これら両極端な結果の中間に位置する、緩やかで一貫した関連を示したものと位置づけられます。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本では、不妊治療を受ける女性の将来の心血管疾患リスクについて、系統立ったフォローアップ体制が確立しているとは言えないのが実情です。今回の結果は、絶対リスクの上昇幅自体は小さいものの、不妊という既往が、年齢や従来の心血管危険因子とは独立した形で、長期的な心血管疾患リスクの目印になり得ることを示しています。特に35歳以上で不妊治療を経験した女性では、この関連がより明確であるため、産婦人科と循環器内科・かかりつけ医との間で情報が引き継がれる仕組みの重要性が増します。

臨床現場では、不妊治療の終了後もリスク因子であるコレステロールや血糖、血圧などを定期的に確認し、生活習慣の見直しを促す機会として位置づけることが、今後の議論の出発点になり得ます。ただし、今回の研究はあくまで観察研究であり、不妊と心血管疾患の間に直接の因果関係があることを証明するものではありません。不妊が心血管疾患を引き起こすというより、両者に共通する炎症や代謝の異常を背景に持つ女性を、不妊という診断が間接的に浮かび上がらせている、という理解がより妥当と考えられます。

研究の強みと限界

本研究の強みは、台湾の人口のおよそ99%をカバーするNHIRDを用い、20万人を超える大規模な集団で、年齢マッチングと厳密な傾向スコアマッチングという2種類の解析を組み合わせた点にあります。脳血管疾患・心不全・虚血性心疾患という複数のアウトカムを同時に評価し、長期の追跡によって結果の信頼性を高めている点も特徴です。

一方で限界も少なくありません。診断は保険請求データに基づくICDコードによって定義されており、誤分類の可能性を否定できません。体格指数(BMI)や血圧、脂質プロファイル、生殖ホルモン値、不妊の原因(男性因子・排卵障害・子宮内膜症など)といった臨床的に重要な変数は直接把握されていません。喫煙や食事、身体活動、妊娠回数といった生活習慣・生殖歴の情報も十分には捉えられていない可能性があります。また、対照群は「不妊の診断記録がないこと」で定義されており、実際には受診していない、あるいは他院で診断された女性が対照群に紛れ込み、結果を過小評価する方向に働いた可能性も指摘されています。体外受精そのものの実施の有無を示す診療コードがデータベースに存在しないため、生殖補助医療の影響を直接検証できていない点や、原発性・続発性不妊の区別ができない点も限界として挙げられています。後方視的な観察研究である以上、因果関係の証明はできず、台湾以外の集団への一般化にも慎重さが求められます。

おわりに

今回の研究は、台湾の大規模な保険データベースを用いて、不妊と脳血管疾患・虚血性心疾患との間に、modestではあるものの統計学的に一貫した関連があることを示しました。絶対リスクの上昇幅は大きくなく、効果量も中程度にとどまるものの、複数の心血管アウトカムにわたって関連が認められ、傾向スコアマッチングや幅広い背景因子の調整を経てもなお関連が保たれた点は、不妊が心血管疾患を直接引き起こす原因というよりも、背景にある血管・代謝面の脆弱性を映し出す臨床的な指標である可能性を示唆しています。これらの知見をただちに一律の診療変更に結びつけるのではなく、十分な統計学的検出力を備えた前向き研究によって、不妊と心血管疾患を結ぶ生物学的な機序や、標的を絞ったスクリーニングの臨床的意義をさらに検証していく必要があるとされています。

参考文献

1. Hsu J-Z, Ding D-C. Comparative risks of cerebrovascular and heart disease in women with infertility: A retrospective cohort study. Int J Gynecol Obstet 2026;00:1-9. doi:10.1002/ijgo.71234.

IVFラボにも「持続可能性」を──83カ国のアンケートが映す現状と壁

医療分野は、気候変動と資源消費の両面で環境への負荷が大きい産業のひとつとされています。世界保健機関(WHO)は、持続可能な医療システムを「質の高いケアを提供しながら、環境への悪影響を最小化し、現在と将来の世代の健康を守る仕組み」と定義しています。近年は、大気汚染や環境中の化学物質と生殖機能の低下との関連や、原因不明とされる不妊症の背景要因としての環境要因、習慣流産など産科合併症への関与も指摘されるようになってきました。

こうした流れのなかで、生殖補助医療(ART)の分野は、環境負荷という観点からはこれまであまり注目されてこなかった領域です。使い捨てのプラスチック器具や培養液、梱包資材を多用する体外受精(IVF)ラボの現場で、医療従事者は実際にどの程度サステナビリティを意識し、どのような行動を取っているのでしょうか。この問いに、世界規模のアンケート調査で初めて答えを示した論文が、Reproductive BioMedicine Online誌(2026年)に掲載されました(doi:10.1016/j.rbmo.2026.105804)。

方法──83カ国、754人の臨床従事者の声を集めた

この調査は、International IVF Initiativeが展開する「GreenIVF」キャンペーンの一環として実施されたオンライン横断調査です。2024年7月から9月までの10週間、ART分野の臨床従事者を対象に、メールとSNS(LinkedIn、Facebook、X、Instagram)を通じて回答が募られました。対象はIVFラボで臨床業務に従事する専門職に限定され、該当しない回答者はアンケートの最初の設問で終了する仕組みが取られています。

質問は主要22問と、回答に応じた追加質問で構成され、「サステナビリティに関する考え方」4問、「日々のグリーンな取り組み」6問、「臨床現場での支援体制」5問、それに人口統計に関する7問が含まれました。最終的に893件の回答のうち754件が有効とされ、6大陸83カ国から回答が寄せられました。回答者の内訳は、女性70.3%(530/754)、男性27.7%(209/754)で、年齢は25〜54歳が全体の80.2%(605/754)を占めています。回答者の半数以上(53.2%、401/754)が12年を超えるラボ経験を持つベテラン層でした。

意識は高いが、「懸念」と「重要」の間に温度差

「サステナビリティ」という言葉への認知度は非常に高く、90%を超える回答者が「よく知っている」(58.0%、437/753)または「ある程度知っている」(34.0%、256/753)と答えています。医療分野全体の環境負荷について「非常に懸念している」とした回答者は51.4%(387/753)、「やや懸念している」は34.4%(259/753)で、合わせて8割を超える回答者が何らかの懸念を抱いていることになります。

さらに、「ART分野が持続可能な形で活動することの重要性」を尋ねた設問では、「非常に重要」との回答が74.2%(559/753)まで上昇しました。「環境負荷への懸念」から「重要性の認識」へと質問が進むにつれて、肯定的な回答の割合が増える傾向が見られたことになります。一方で、「グリーンな取り組みを行うクリニックは患者にとって魅力的に映るか」という設問については、経験年数の浅い層(1年未満・1〜2年)ほど強く同意する傾向があり(それぞれ52.9%、38.3%が「強く同意する」)、経験12年超の層で同様に答えたのは21.5%にとどまるなど、世代による認識差もうかがえました。

日々の行動──顕微鏡の照明はこまめに消すが、包装への声はまだ小さい

実際の行動レベルではばらつきが目立ちました。日常的に「常に」実施されている行動として最も多かったのは「使用していないときに顕微鏡の照明を消す」で70.3%(529/753)。一方、「サプライヤーに過剰包装についてフィードバックを送る」を「常に」行っているのは8.1%(61/750)にとどまり、35.9%(269/750)が「一度もない」と回答しています。

個人防護具についても差が見られました。再利用可能な布製キャップを「常に」使用する回答者は39.3%(296/753)で、「一度も使わない」の21.4%(161/753)を上回りましたが、使い捨てシューカバーについては34.7%(261/752)が「一度も使わない」一方、17.7%(133/752)は「常に使う」と回答しており、地域差も報告されています(メキシコ、ブラジル、南アフリカ、エジプトなどで使用頻度が高い傾向)。使用期限切れの在庫や余剰な使い捨て器具の廃棄についても、最も多い回答は「まれにある」(それぞれ36.0%)で、日常的な廃棄が一定程度生じている実態がうかがえます。

紙かデジタルか──同意書とラボノートの実情

患者への同意取得方法については、「主に紙」が39.2%(295/753)、「主にデジタル」が33.9%(255/753)、「両方を同程度」が26.2%(197/753)でした。紙を使い続ける理由としては、「法的要件」(41.9%、188/449)が最多で、次いで「ソフトウェア導入費用」(20.0%、90/449)、「IT支援の不足」(15.1%、68/449)、「署名の真正性への懸念」(9.8%、44/449)が挙げられています。ラボノート(培養記録)については、66.0%(497/753)が「デジタルと紙の併用」と回答し、紙のみを使用する施設で1周期あたりに使うA4用紙の枚数は、中央値2枚(四分位範囲2〜6枚)でした。

「グリーンチーム」への期待と、支援の手薄さ

環境・サステナビリティに特化した院内チーム(グリーンチーム)を実際に持つ施設は23.4%(176/753)にとどまり、そのうち「効果的に機能している」と感じているのは65.3%(115/176)でした。一方、57.6%(434/753)が「チームはないが、あればよいと思う」と回答しており、潜在的な関心の高さがうかがえます。他施設とグリーンな取り組みを共有する「グリーンアライアンス」への参加意向は、「強く関心がある」50.6%(381/753)、「やや関心がある」32.3%(243/753)と、8割以上が前向きな姿勢を示しました。

支援体制についての評価は分かれました。自施設のクリニックマネジメントからの支援については、「強く同意する」「やや同意する」を合わせて56.8%(428/753)と比較的高い評価だった一方、専門学会や行政機関からの支援については「どちらともいえない」が29.1%(219/753)と最多で、明確な支持は乏しい傾向が見られました。ARTサプライヤーからの支援についても評価は分かれ、イタリアやナイジェリアでは支持的な回答が多かった一方、英国とアメリカでは半数前後が「支援を感じない」と回答しています(それぞれ54.0%、45.1%)。

何が導入を妨げているのか──治療成績への不安が最大の壁

グリーンな取り組みを進めるうえでの懸念事項を順位付けしてもらったところ、最も多くの回答者が第1位に挙げたのは「治療成績への悪影響」で39.3%(297/753、P<0.001)でした。これに「費用の増加」「規制上の懸念」が続き、「スタッフの安全性への影響」や「効果を示すエビデンスの乏しさ」は相対的に懸念の順位が低い結果でした。

自由記述では、241人が追加のコメントを寄せ、うち155人が具体的な懸念や提案を示しました。最も多かったのは「職場の同僚や管理者からの支援不足」(18.8%、33/176)で、次いで「業務負担・時間的制約への懸念」(14.8%、26/176)、「利用可能なグリーンな代替手段についての知識不足」(14.2%、25/176)が挙げられています。誰が主導すべきかという設問では、「ARTサプライヤー」を上位2位以内に選んだ回答者が50.6%(381/753)にのぼり、業界内では現場の努力だけでなく、供給側の変化を求める声が強いことが示されました。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本では、IVFラボにおける環境負荷やサステナビリティを主題とした調査・議論はまだ限られています。今回のデータは、治療成績への影響を懸念する声が世界共通で最も大きいことを示しており、日本の現場でグリーンな取り組みを検討する際にも、まず品質管理や標準作業手順との整合性を確保したうえで進める必要があることを裏付けています。

紙の同意書やラボノートに関する結果は、日本の医療現場が抱える課題とも重なる部分があります。電子カルテや電子同意への移行が法的要件や既存の運用によって進みにくい状況は、他国の臨床現場でも共通してみられる障壁であり、規制当局との対話を通じた段階的なデジタル化が、今後の検討課題になり得ます。また、サプライヤーへのフィードバックという行動が世界的にも低調である点は、日本の施設が個別に声を上げるよりも、学会や業界団体を通じた集団的な働きかけのほうが実効性を持ちやすい可能性を示唆しています。

研究の強みと限界

本調査の強みは、83カ国、754人という規模で、ART専門職のサステナビリティに関する意識と行動を対象にした調査としてはこれまでで最大規模である点にあります。人口統計学的な属性による有意な差が乏しく、年齢・性別・経験年数を問わず、サステナビリティの重要性については比較的広いコンセンサスが存在することを示した点も特徴です。

一方で限界も指摘されています。第一に、調査はInternational IVF Initiativeのメーリングリストおよびソーシャルメディアを通じて配信されたため、もともと関心の高い層が回答しやすい自己選択バイアスの可能性があります。第二に、配信方法の性質上、調査が到達した対象者の総数が不明であり、回答率や無回答バイアスを検証することができません。第三に、環境負荷を定量的に示すデータ(炭素排出量や廃棄物量など)は依然として乏しく、具体的な介入がどの程度の効果を持つかについては、今後の研究による裏付けが必要とされています。

おわりに

今回の調査は、ART分野の臨床従事者が広くサステナビリティへの関心を共有しつつも、治療成績への影響や費用、規制上の懸念といった要因が実際の行動を妨げていることを、世界規模のデータで初めて示したものです。研究チームは、ラボスタッフ、クリニックマネジメント、専門学会、行政、そしてサプライヤーがそれぞれの立場で関与する多層的な取り組みが必要であるとしています。今回の結果は、IVFラボにおける持続可能な実践のあり方を検討するうえでの土台となるものであり、今後は環境負荷を定量的に評価する研究や、サプライヤーを含めた業界横断的な協働の進展が期待されています。

参考文献

1. Farlie F, Gorbunova A, Paredes O, Woolley TE, Alikani M, Cohen J, Palmer GA. Balancing science and sustainability in ART: an international survey of green issues in IVF laboratories. Reprod Biomed Online 2026;53(4):105804. doi:10.1016/j.rbmo.2026.105804.

止まらない出生率低下──世界人口の4分の1が「超低出生率」国に暮らす時代

合計特殊出生率(TFR、女性一人が生涯に産む子どもの推定人数)は、多くの高所得国・中所得国で過去最低水準を更新し続けています。世界人口の半数以上が、人口置換水準とされるTFR2.1以下の国に暮らしており、移民の流入がなければ、これらの国では長期的に人口が減少していく計算になります。

低出生率への移行そのものは、教育水準の上昇や経済成長、都市化、女性の社会進出、避妊技術の普及といった要因から、人口学や経済学の理論によってある程度予測されていたことでした。しかし近年の出生率低下は、想定されていたよりも速く、深く、そして持続的であり、地理的にもはるかに広い範囲に及んでいます。かつては欧米や日本など一部の高所得国に限られていた低出生率は、東アジアだけでなく、中南米や南アジアの中所得国にも急速に広がりました。

こうした「出生率の自由落下」とも呼べる現象の全体像と、その背景にある要因を包括的に整理した総説が、Reproductive BioMedicine Online誌(2026年、53巻3号)に掲載されました(doi:10.1016/j.rbmo.2026.105831)。ウィーン人口統計研究所の研究者による本総説は、国連や各国統計局のデータをもとに、高所得国・中所得国における低出生率の現状と、そこに関わる複数の要因を整理しています。

世界人口の4分の1が、TFR1.3未満の国に暮らしている

今日、TFRが1.3を下回る国・地域に暮らす人口は、20億人を超え、世界人口の4分の1以上に達しています。中でもTFRが1.0を下回る「極端な低出生率」の国・地域は8つあり、その人口は合計15.5億人(世界人口の19%)にのぼります。中国、韓国、ウクライナ、プエルトリコなどが含まれ、マカオは2023年に0.66という記録的な低さを記録しました。韓国は2025年時点で0.75、香港は0.84、シンガポールは0.87、台湾は0.88、ウクライナと中国はともに0.90と報告されています。

TFRが1.0〜1.3の範囲にある国・地域は23か国あり、合計人口はおよそ5億人です。ルクセンブルクやスイスといった富裕国から、日本、タイ、ポーランド、スペインといった人口規模の大きな国、さらにチリ、コスタリカ、ウルグアイなど中南米の中所得国まで、経済水準を問わず幅広い国が含まれます。ソウルや上海のような大都市では、TFRが0.5〜0.8という極端な水準まで落ち込んでいる地域もあります。

一方でイスラエルは高所得国の中で例外的に高いTFRを維持していますが、これは超正統派ユダヤ教徒のコミュニティがTFR6前後を保っていることが大きく影響しています。中央アジアの一部や、2000〜2010年代の中東欧の一部の国では、経済成長や家族政策の拡充にともなって出生率が回復した時期もありました。

「一時的な落ち込み」では説明できなくなった

歴史的に見ると、出生率は好況期に上昇し、不況期に低下するという景気循環的な動きを示すことが多くありました。しかし2008〜2010年の世界金融危機以降、この関係性は崩れています。危機後の2010年代には多くの国で経済成長が続いたにもかかわらず、出生率は回復せず、低い水準で横ばい、あるいはさらに低下する国が相次ぎました。北欧諸国やフランスのように、手厚い家族政策やジェンダー平等が進んでいるとされてきた国々でも、出生率の急落が観察されています。

中南米地域全体のTFRは1980年の4.1から2023年には1.8まで低下しました。中央アジア・南アジア地域(インドを含む)でも、1980年の5.1から2023年には世界平均並みの2.2まで下がっています。イランは1980年の6.6から2009年には1.6へと、世界でも際立って急速な出生率低下を経験した国の一つです。ブラジル、トルコ、タイもそれぞれ1.6、1.5、1.2まで低下しており、かつて高出生率だった中所得国が、次々と低出生率国の仲間入りをしている状況がうかがえます。

何が出生率を押し下げているのか──複合的な要因

本総説は、出生率低下の背景に単一の要因ではなく、複数の要因が絡み合っていると整理しています。第一に、雇用の不安定化や実質賃金の伸び悩みです。失業率の上昇や消費者信頼感の低下は出生率と負の相関を示すことが、複数の研究で報告されています。ただし2010年代の経済回復期に出生率が伴わなかったことから、雇用情勢だけでは説明がつかないとも指摘されています。

第二に、住宅コストの上昇です。経済協力開発機構(OECD)加盟国では、2013年以降、家賃や住宅価格が物価上昇を上回るペースで上がり続けており、出産の先送りに関与している可能性が示唆されています。ただし、住宅価格の上昇が出生率に与える影響については、研究によって結果が分かれており、賃貸コストの上昇は出生率を押し下げる一方、持ち家の資産価値上昇はむしろ出生率を押し上げるという報告もあり、一貫した結論には至っていません。

第三に、将来に対する悲観的な見通しです。多くの高所得国で、今日の子どもたちは親の世代より経済的に恵まれない生活を送るだろうと考える人が多数を占めています。将来への悲観的な見方は、出産に踏み切る可能性の低さと関連することが示されており、気候変動への不安も一部の調査では出産意欲の低下と結びつけられていますが、この関連については研究間で結果が一致していません。

第四に、ジェンダー不平等です。女性が教育や就労の機会において男性と同等の立場を得た一方、家事・育児の負担が女性に偏ったままの社会では、出生率が低くなる傾向が報告されています。東アジアでは、根強い雇用差別と家事・育児負担の偏りを背景に、結婚や出産そのものを選ばない女性が増えているとされています。

結婚しない、パートナーを持たない人が増えている

出生率の低下には、パートナーシップのあり方の変化も深く関わっています。生殖年齢人口のうちパートナーと同居する人の割合が減少していることが、出生率低下の一因として挙げられています。オーストラリアでは、2008年から2019年にかけてのTFR低下(2.02から1.68)のうち、およそ半分が結婚からの離脱によって説明されるとされ、フィンランドでは2010年から2018年にかけての第一子出生率低下のうち、およそ2割が結婚・同棲率の低下によるものと分析されています。

東アジアでは、結婚を経ずに出産することが依然として一般的でないため、未婚化が出生率低下に直結しやすいとされています。日本では、20〜30代で未婚かつ交際相手もいない人の割合が上昇しており、2015年時点で独身者のおよそ半数が交際そのものに関心を持たないと回答したとする調査結果も紹介されています。

希望する子ども数そのものも変化しています。フランスでは18〜24歳女性が希望する子ども数の平均が、2005年の2.5人から2024年には1.9人へと低下しました。アメリカでも2012年から2018年にかけて出産意欲が低下し、その傾向は18〜24歳の若年層でより顕著でした。中国では2017年から2021年にかけて、一人っ子政策の緩和が進む中でも希望・予定する子ども数が低下し、2021年時点で20〜44歳女性の平均予定子ども数は1.64人にとどまっています。

「産む時期」が遅くなることのリスク

出産年齢の上昇も、出生率低下を後押ししている要因の一つです。日本、イタリア、ドイツ、スペインなどでは、女性の平均初産年齢が30〜32歳前後まで上昇し、1970年代と比べておよそ8年遅くなりました。韓国はさらに高く、平均初産年齢は33歳です。出産の先送りは、期間出生率(その年に生まれた子どもの数をもとに算出する指標)を押し下げるだけでなく、不妊のリスクを高め、次の子どもを持つための残された期間を狭めることにもつながります。

イタリア、スペイン、日本など一部の国では、1960年代から1980年代前半生まれの女性のうち、生涯子どもを持たない割合が25〜30%に達しています。生殖補助医療(体外受精など)を受ける人が増えていることも、加齢に伴う不妊が広がっていることの間接的な裏付けとされていますが、生殖補助医療の成功率には限界があり、費用や利用機会の格差もあるため、出産の先送りを完全に補う手段にはなっていないと指摘されています。

一方で、避妊技術の普及は、望まない妊娠・出産を減らす方向に働いています。アメリカでは2007年から2019年にかけて、避妊の効果的な利用や性行為の頻度低下などにより、意図した出生数が8.5%、意図しない出生数が22%減少したと分析されています。ウルグアイでは、皮下埋め込み型避妊具の普及拡大により、2015年から2018年にかけての10代女性の出生数減少のおよそ3分の1が説明されるとする報告もあります。

政策で出生率を反転させるのは難しい

本総説は、出生率を引き上げることを目的とした政策の効果について、慎重な見方を示しています。多くの国が現金給付などの家族政策を拡充してきましたが、子育てにかかる金銭的コストの上昇や、雇用の不安定さ、住宅費の高さ、将来への不安といった、出産をためらわせる根本的な要因には十分に対応できていないとされています。所得や雇用が個人の成功や社会的地位と強く結びついた現代社会の構造そのものが、子どもを持つことと両立しにくい仕組みになっている可能性が指摘されており、こうした構造的な問題に踏み込まない限り、出生率の反転は難しいという見方が示されています。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本は、TFR1.3未満の「超低出生率」国の一つに数えられ、平均初産年齢の上昇や生涯未婚率・生涯子どもを持たない女性の割合の高さにおいても、本総説が取り上げる東アジアの傾向を色濃く反映しています。生殖医療の現場では、加齢に伴う不妊相談や生殖補助医療の需要増加という形で、こうした社会全体の変化が個々の患者の経験として現れていると考えられます。出産年齢の上昇が生殖補助医療への需要を押し上げる一方で、その成功率や費用負担には限界があるという本総説の指摘は、患者への説明や治療選択の場面でも踏まえておくべき視点といえます。

また、出生率低下の背景に経済的要因だけでなく、パートナーシップの変化や将来への不安といった心理・社会的要因が複合的に関わっているという整理は、生殖医療を提供する医師と患者のあいだで、治療そのものだけでなく、人生設計や将来への見通しについて対話する必要性を示唆するものとも言えます。

研究の強みと限界

本総説の強みは、国連や各国統計局、Human Fertility Databaseなど複数の公的データソースを横断的に統合し、世界規模での出生率動向を経済・社会・心理的要因から包括的に整理した点にあります。単一の国や地域の分析にとどまらず、高所得国から中所得国までを比較の対象としている点も特徴です。

一方で、本総説は個別の実証研究ではなく、既存の研究知見を統合した解説記事であるという性質上の限界があります。引用されている個々の研究の方法論や対象集団は多岐にわたり、国や時代を越えた単純な比較には注意が必要です。また、住宅価格や気候変動不安が出生率に与える影響のように、研究間で結論が一致していない論点も複数含まれており、今後さらに実証的な検証が必要とされています。

おわりに

今回の総説は、世界的な出生率低下が一時的な現象ではなく、経済的な構造条件、将来への悲観的な見通し、パートナーシップのあり方の変化、そして子どもを持つことへの価値観の変化が複合的に絡み合った、より広範で持続的な現象であることを示しています。今後、出生率をめぐる政策や生殖医療のあり方を検討する上でも、こうした複合的な背景を踏まえた議論が求められると考えられます。

参考文献

1. Sobotka T. The global fertility freefall: trends, drivers and uncertainties. Reprod Biomed Online 2026;53(3):105831. doi:10.1016/j.rbmo.2026.105831.

捨てられていた未熟卵を救えるか──「GVレスキュー」8年間の実力

体外受精治療で受精に用いられるのは、減数分裂を完了した「MII期」の卵子のみです。採卵で得られる卵子のうち、未成熟な胚胞期(GV期)の卵子はおよそ1割を占めるとされますが、発生能が低いという理由から、これまで多くの場合は廃棄されてきました。トリガー時に14mm以上の卵胞が確認されていれば、通常70〜80%程度がMII期卵子として回収されると見込まれますが、患者のおよそ5%では、この見込みを大きく下回るMII卵子しか得られないことがあります。

こうした周期に対しては、未成熟卵を体外で培養して成熟させたうえで利用する「レスキューIVM(GVレスキュー)」という選択肢が以前から提案されてきました。しかしその臨床的な価値、とりわけ着床前胚染色体異数性検査(PGT-A)と組み合わせた場合の意義については、これまで一貫した結論が得られていませんでした。

このような背景のもと、Human Reproduction誌(2026年)に、スペインの生殖医療施設における8年間(2017年1月〜2024年12月)のGVレスキュー経験をまとめた後方視的研究が掲載されました。MII卵子の回収数が想定を下回った47人の患者、266個のGV卵子を対象に、GVレスキューが治療成績にどれだけ寄与したのかを検証した内容です(doi:10.1093/humrep/deag115)。

方法──想定より未熟卵が多かった47人を、8年間追跡した

対象は、39歳未満で、ICSIとPGT-Aを実施した女性のうち、トリガー時に確認された14mm以上の卵胞数に対するMII卵子の回収率が80%未満であり、かつ得られたMII卵子が6個以下、GV卵子が4個以上という条件を満たした47人でした。この基準は、同施設で同期間にPGT-Aを伴うICSI周期を受けた2,769人のうちの1.7%にあたる、厳しく絞り込まれた集団です。

回収されたMII卵子はただちに顕微授精(ICSI)に供された一方、GV卵子はタイムラプス培養システムで最長24時間培養され、この間に成熟(第一極体の放出)が確認された卵子(以下rMII)のみが、そこから顕微授精の対象となりました。成熟せずMI期にとどまった卵子は廃棄されています。得られた胚は5日目または6日目に胚盤胞まで培養し、栄養外胚葉の一部を生検してPGT-Aを実施、正倍数性が確認された胚のみを凍結し、後日融解して移植する方針がとられました。

GVレスキューで、使えるMII卵子が「75%」増えた

266個のGV卵子(1人あたり5.7±2.4個)のうち、127個(47.7%)が24時間以内にrMIIへと成熟しました。この結果、1人あたりのMII卵子数は、対照群の4.4±1.6個から、rMIIを加えた7.1±2.4個へと、平均75±67%増加しています。

受精率は互角、しかし胚盤胞到達率はrMIIで大きく低下

受精率は、対照群のMII卵子(71.4%)とrMII(66.1%)のあいだで有意差はありませんでした。一方、受精した胚が胚盤胞まで発育する割合(胚盤胞化率)は、対照群のMII由来胚で49.0%だったのに対し、rMII由来胚では20.2%にとどまり、有意に低下していました(P<0.001)。

ただし、たどり着いた胚盤胞の質そのものには差がありませんでした。内細胞塊(ICM)と栄養外胚葉(TE)のグレード、生検日はいずれも対照群と同等であり、生検した胚盤胞に占める正倍数性胚の割合(euploidy率)は、対照群51.4%に対しrMII由来で76.5%と、少なくとも劣ってはいませんでした(全体では有意差なし、患者単位の解析ではrMII群でやや高い82.1% vs 53.7%、P=0.04)。

最終的な生児出生率は「20%」の上乗せ

研究チームは、GVレスキューを行わなかった場合と比べて、治療の各段階でどれだけ患者数が押し上げられたかを示しています。少なくとも1個の2PN(前核2個)胚を得られた患者は44人から46人へ(+5%)、少なくとも1個の胚盤胞を得られた患者は36人から39人へ(+8%)、少なくとも1個の正倍数性胚盤胞を得られた患者は26人から30人へ(+15%)、そして少なくとも1回の生児出生に至った患者は15人から18人へ(+20%)と、段階を追うごとに寄与が積み上がっていました。

移植1回あたりの臨床成績(妊娠反応陽性率、生児出生率、新生児の在胎週数・出生体重)についても、対照群由来とrMII由来のあいだに有意差はありませんでした。

「GV卵子が多い患者」ほど、恩恵を受けやすい

GVレスキューから正倍数性胚盤胞を得られた13人と、得られなかった34人を比較すると、年齢やAMH、胞状卵胞数、男性因子の有無に差はありませんでした。一方、恩恵を得られた群は、採卵で回収された総卵子数(13.5±5.1個 vs 10±2.8個)、なかでもGV卵子数(7.2±3.5個 vs 5.1±1.5個、P=0.009)が有意に多いという特徴がありました。ロジスティック回帰分析では、レスキューに供したGV卵子が1個増えるごとに、正倍数性胚盤胞を得られる可能性が49%相対的に上昇することが示されています(95%信頼区間1.05〜2.12、P=0.026)。

見分ける手がかりは「卵子の大きさ」と「核胞崩壊の速さ」

タイムラプス動画を用いた形態計測・動態解析では、実際に成熟に成功したGV卵子は、成熟しなかった卵子に比べてやや大きく、核胞崩壊(GVBD、細胞核の輪郭が消える現象)までの時間も有意に短いことが分かりました(中央値3.7時間 vs 9.7時間、P<0.001)。多変量解析でも、GVBDが遅いことは成熟の妨げとなる一方(オッズ比0.719、P=0.023)、透明帯を含めた卵子の面積が大きいことは成熟に有利であること(面積100平方マイクロメートル増加あたりオッズ比1.078、P=0.007)が確認されました。成熟したrMII卵子そのものは、対照群のMII卵子に比べてやや小さい傾向にありました。受精後の観察では、前核が早く並ぶことや初回卵割までの時間が短いことが、その後の胚盤胞発育と関連していました。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本では、採卵周期でMII卵子の回収数が想定を下回った場合、多くの施設で未成熟卵をそのまま廃棄し、成熟卵のみで治療を進めるか、あるいは改めて採卵をやり直す運用がとられています。今回の結果は、GVレスキューが「廃棄か、再採卵か」という二択に、第三の選択肢を加えうることを示しています。特に、GV卵子の数が多い患者ほど恩恵を受けやすいという知見は、GVレスキューを勧めるかどうかを個別に判断するうえでの目安になり得ます。

一方で、今回の対象は、年齢や卵巣予備能は正常ながらMII卵子の回収率だけが低いという、厳格な基準を満たした患者に限られています。日本の臨床現場でGVレスキューを検討する際にも、対象を慎重に絞り込んだうえで、患者への説明においては「胚盤胞への到達率は下がるものの、たどり着いた胚の質そのものは損なわれない」という今回の知見を踏まえた情報提供が求められると考えられます。

研究の強みと限界

本研究の強みは、単一施設ながら8年間という長期にわたり、一貫したプロトコルでGVレスキューを実施した点、そしてタイムラプス動画による形態計測・動態解析を組み合わせ、成熟や胚盤胞発育に関わる要因を検討した点にあります。

一方で限界もあります。第一に、後方視的な観察研究であり、単一の民間生殖医療施設で得られたデータであるため、他施設への一般化には注意が必要です。第二に、対象患者数は47人と少なく、これは厳格な選択基準を課したことの裏返しでもありますが、生児出生に至った例も4人にとどまっており、新生児の長期予後を含めたさらなる検証が必要とされています。第三に、GVレスキューはMI期の卵子を除外し、培養期間も24時間に限定するという運用上の制約のもとで行われており、異なるプロトコルでの再現性は今後の検討課題です。

おわりに

今回の研究は、MII卵子の回収が想定を下回った患者において、GVレスキューが治療成績にどの程度寄与するのかを、8年間・266個のGV卵子という規模のデータで示したものです。胚盤胞への到達率自体はGV卵子由来で低いものの、たどり着いた胚の質や妊娠・出産成績は対照群と遜色なく、生児出生に至る患者数を20%押し上げる結果となりました。GV卵子の数が多い患者ほど恩恵を受けやすいという知見は、今後、GVレスキューを勧めるべき患者像を絞り込むための土台になり得るものです。研究チームは、より大規模な前向き研究による検証と、患者選択基準の標準化が今後の課題であるとしています。

参考文献

1. Cimadomo D, Escrich L, Alegre L, Grau N, Galán A, Rodríguez Varela C, Taggi M, Pasku S, Rienzi L, Bosch E, Escribà M-J. Germinal vesicle oocytes’ rescue: a worthless treatment or a patient-centred approach? Eight years of clinical experience in poor prognosis patients. Hum Reprod 2026;00(00):1-15. doi:10.1093/humrep/deag115.

妊活アプリは味方か──「データを集める」ことと「役に立つ」ことの距離

世界的に出生率の低下が続くなか、妊よう性(妊娠する力)の把握や妊活の管理を支援するとされる健康テクノロジー、いわゆる「HealthTech」への期待が高まっています。スマートフォンアプリ、ウェアラブル端末、自宅でできるホルモン検査、遠隔診療プラットフォームなどがその代表例です。とくに女性に多い健康課題をテクノロジーで支援する分野は「FemTech」と呼ばれ、急速に市場を拡大させています。

こうしたツールは日々何百万人もの人に利用されていますが、実際に価値を持つのは、科学的根拠に基づき、臨床的な意味があり、公平に設計されている場合に限られます。多くの製品は、話題性や人気、投資価値を根拠に市場に投入される一方で、独立した第三者による検証を経ていません。妊活中の人はすでに不安を抱え、傷つきやすく、強い動機を持っていることが多いだけに、この違いは軽視できません。

こうした背景のもと、Reproductive BioMedicine Online誌(2026年)に、妊活・生殖医療分野のHealthTechが持つ可能性と課題を批判的に検証したコメンタリー論文が掲載されました(doi:10.1016/j.rbmo.2026.105819)。生理・排卵予測アプリからAMH(抗ミュラー管ホルモン)検査、データの取り扱い、SNSによる誤情報の拡散まで、幅広い論点が整理されています。

英国で女性の38%が利用──それでも「排卵日」は当たっているか

もっとも普及しているFemTechは、生理周期を記録する生理予測アプリと排卵予測アプリです。最初期の生理予測アプリのひとつであるClueは、「FemTech」という言葉を生み出したIda Tin氏によって開発されました。現在では数百種類の生理予測アプリが存在し、2024年の調査では英国の女性の38%が生理予測アプリを利用していると報告されています。Clue、Flo、Period Trackerの3アプリだけで、全世界で2億5,000万件以上のダウンロードがあるとされています。

こうしたアプリの多くは、基礎体温やLHサージ(黄体形成ホルモンの急上昇)といった排卵の指標を実際に測定するのではなく、生理日のデータのみから排卵日と「妊よう性の高い期間(fertile window)」を予測しています。実際には、生理予測アプリは排卵日を周期の13日目または14日目とすることが多い一方、60万件以上の生理周期データを解析した研究では、排卵は14日目よりも16〜17日目に起こりやすいことが示されています。この差は小さくありません。妊娠を望まない人にとっては、実際より早く排卵したと伝えられることで、最も妊娠しやすい時期に避妊をしない性交につながる可能性があり、妊娠を望む人にとっては、逆に妊よう性の高い期間を見逃してしまう可能性があります。

「妊よう性のバロメーター」と謳われるAMH検査の限界

もうひとつの例として挙げられているのが、AMH検査です。AMHは卵巣内に残る卵子の数の目安となるホルモンで、加齢とともに低下し、閉経に近づくほど値が下がります。この検査は「自分の妊よう性を知って主体的になれる」ものとして強く売り出されていますが、体外受精における卵巣刺激の反応予測など、特定の臨床場面では確かに有用性が認められています。

しかし米国生殖医学会(ASRM)は、AMHをはじめとする卵巣予備能マーカーは、不妊症のない女性における自然な妊よう性の予測因子としては乏しいと指摘しています。米国産科婦人科学会(ACOG)も、不妊症のない女性に対してAMHを妊よう性の説明目的で測定・利用すべきではないとの見解を示しています。AMHの値が正常であることは妊娠を保証するものではなく誤った安心感を与えかねず、逆に低い値であっても、自然妊娠や治療による妊娠が不可能であることを意味するわけではありません。

妊娠中の女性のデータは、一般消費者の約15倍の価値

生殖に関するデータは、個人情報のなかでもとりわけ機微な情報にあたります。にもかかわらず、多くのFemTech製品では、データの保存方法、第三者への提供、商業利用、アルゴリズムによる意思決定の仕組みについて、十分な透明性が確保されていません。利用者は自分のデータがどのように処理され、予測がどう生成され、ツールが誤った結果を出した場合に誰が責任を負うのかを理解できないことが多く、データプライバシー違反を理由とするFemTech企業への訴訟も複数起きています。

この問題の規模は小さくありません。妊娠中の女性のデータは、一般的な消費者データのおよそ15倍の価値があると試算されています。妊娠から子育てへの移行は消費行動に大きな変化をもたらすため、企業にとって生殖に関するデータを収集する強い経済的動機が生まれます。しかし現行の規制枠組みは、生殖に関するデータを独自のカテゴリーとして明示的に保護しておらず、監督体制には大きな空白が残されているとされています。

こうした懸念は、生殖に関する意思決定が政治的な争点となっている地域でとくに深刻です。人工妊娠中絶へのアクセスが制限されている法域では、生理予測アプリに記録された月経の停止に関する情報が、法的手続きの証拠として利用されうるとの懸念が指摘されています。米国のDobbs判決以降、この論点は広く注目を集めるようになりました。

見えやすさは、正しさではない──SNSが増幅する誤情報

科学的根拠が不十分なまま流通する製品情報は、SNSによってさらに増幅されます。個人の体験談やインフルエンサーによる発信、感情に訴えるコンテンツを通じて、製品が確固たる根拠を得るよりも先に市場で広がっていくことが少なくありません。可視性や関与度、フォロワーからの信頼は、情報の正確さを保証するものではないにもかかわらず、しばしば臨床的なガイドラインよりも強く人々の理解を左右しています。

とりわけ問題とされるのは、インフルエンサーだけでなく一部の医療専門家までもが、質の低い研究や誤解に基づく解釈をもとに製品を宣伝し、研究の著者が意図した結論とは正反対の主張がなされる場合があることです。その結果、消費者の信頼や製品の人気が、科学的根拠の質から切り離される「誤情報の増幅サイクル」が生まれ、不安を抱えやすい層、いわゆる「worried well(健康なのに心配しすぎている人々)」がとくに影響を受けやすい状況が作られています。

そのテクノロジーは、誰のために設計されているか

FemTech市場は、依然として異性愛規範を前提とし、欧米の、比較的裕福で健康リテラシーの高い層を主な対象として商業展開されている傾向があります。このことは、少数派、単身者、健康リテラシーが十分でない人々、言語・文化・経済・デジタルアクセスの面で障壁を抱える人々を排除するリスクをはらみ、アルゴリズムの偏りにもつながりかねません。妊活・生殖に関するニーズは、ライフステージや希望する家族の形、健康状態、人間関係、社会的背景によって多様であり、画一的な製品設計はこの多様性を十分に反映できていないと指摘されています。

妊よう性は本来、関係性のなかで生じるものですが、多くのアプリは生殖に関する責任をほぼ女性利用者だけに帰する形で設計されています。男性は女性に比べて妊よう性に関する知識が乏しいことが調査で示されているにもかかわらず、男性を対象としたソリューションのエビデンスは限られたままです。利用者を「力づける」ことを謳うテクノロジーが、実際にはこれまで生殖医療が抱えてきた排除や不公平を再生産してしまう可能性がある点は、注意を要します。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本でも、生理予測アプリや妊活アプリ、ウェアラブル端末は広く普及しており、外来で患者がこれらのアプリの記録を見せながら相談する場面は珍しくなくなっています。しかし今回の総説が指摘するように、生理日データのみから算出される排卵日予測には系統的なずれがある可能性があり、アプリの数値をそのまま妊よう性の高い時期の判断に用いることには注意が必要です。診察の場では、アプリの記録を参考情報として活用しつつ、基礎体温や超音波検査など従来の指標と組み合わせて説明することが引き続き重要と考えられます。

AMH検査についても、日本国内では体外受精を検討していない女性が「妊よう性年齢」を知る目的で単独に受検するケースが見られます。ASRMやACOGの見解が示すように、正常値だから安心、低値だから妊娠は困難、といった単純な説明は誤解を招きかねず、検査の意義と限界を丁寧に伝える必要があります。データの取り扱いについても、日本では個人情報保護法の枠組みのなかで生殖関連データが特別なカテゴリーとして明示的に扱われているわけではなく、今後の制度整備の論点になり得ます。

この総説の位置づけと限界

本稿は系統的レビューではなく、生殖医療・女性の健康分野の研究者2名によるコメンタリー(総説)であり、既存の研究や規制動向を横断的に整理し、批判的な視点から論点を提示することに主眼があります。個々の引用文献の質や範囲は網羅的な系統的検討を経たものではなく、著者らの専門的知見に基づく選択である点には留意が必要です。また、著者の一人はデジタルヘルス関連企業へのコンサルティングを、もう一人はFemTech企業からの有償講演や助言といった利益相反を開示しており、業界との関わりを踏まえて論旨を読む必要があります。とはいえ、生理予測アプリの精度に関する実証研究やAMH検査に関する学会見解など、個別の主張の多くは査読済みの一次研究や公式見解に基づいており、指摘の骨格自体は妥当性が高いと考えられます。

おわりに

今回の総説は、妊活・生殖領域のHealthTechが、生理・排卵の理解を助け、通院へのアクセスを広げ、医師と患者のコミュニケーションを支える可能性を持つ一方で、精度や臨床的意味、実際の便益を十分に検証しないまま市場に投入されている製品が少なくないことを指摘しています。データを集めることと、価値を示すことは同じではない、という指摘は、今後のHealthTechのあり方を考えるうえでの出発点になり得ます。市場投入前の検証基準の強化、アルゴリズムの透明性確保、データ保護制度の見直し、そして多様な利用者を前提とした設計が、今後の課題として挙げられています。世界的な出生率低下という課題は、アプリだけで解決されるものではなく、理解を深めないまま不安だけを増幅させるツールは、むしろ逆効果になりうるとされています。

参考文献

1. Grace B, Harper J. HealthTech for reproduction: promises, perils and the evidence gap. Reprod Biomed Online 2026;53(3):105819. doi:10.1016/j.rbmo.2026.105819.

2. Worsfold L, Marriott L, Johnson S, Harper JC. Period tracker applications: What menstrual cycle information are they giving women? Women’s Health 2021;17:17455065211049905. doi:10.1177/17455065211049905.

3. Bull JR, Rowland SP, Scherwitzl EB, et al. Real-world menstrual cycle characteristics of more than 600,000 menstrual cycles. NPJ Digit Med 2019;2(1):83. doi:10.1038/s41746-019-0152-7.

4. Practice Committee of the American Society for Reproductive Medicine. Testing and interpreting measures of ovarian reserve: a committee opinion. Fertil Steril 2020;114(6):1151-1157. doi:10.1016/j.fertnstert.2020.09.134.

5. Katznelson G, McNamara I, Shachar C. An opportunity for guidance on reproductive health tracking technologies in a post-Roe United States. Contraception 2026;157:111013. doi:10.1016/j.contraception.2025.111013.

「子どもを持たない」を選ぶ若者たち──国際生殖医療連合が動き出した理由

合計特殊出生率(TFR、女性が生涯に産む子どもの数の平均)は、人口規模を維持するために2.1程度が必要とされ、これは「人口置換水準」と呼ばれます。この水準は、すでに先進国や中所得国の大多数で下回っており、2100年までに多くの国で人口が50%以上減少すると推計されています。労働人口の縮小は、社会が生み出す製品やサービスの減少、そしてそれに伴う税収の減少を意味し、子どもと高齢者を支える基盤そのものを揺るがす課題として位置づけられています。

経済協力開発機構(OECD、主に先進国38カ国が加盟)が2024年に公表した報告書では、加盟国のTFRが1960年の3.3人から2022年には1.5人へと、ほぼ半減したことが示されました。同報告書は、この変化が社会や家族のあり方、経済成長そのものに影響を及ぼしうると警鐘を鳴らす一方で、共働き世帯の増加や育児支援策の充実といったジェンダー平等の推進が、女性の就労がもたらす出生率への負の影響を和らげうるとも指摘しています。こうした背景のもと、国際生殖医療連合(IFFS)が2024年に開始した意識啓発キャンペーン「MoreJoy」の全容を紹介する解説論文が、Reproductive BioMedicine Online誌(2026年)に掲載されました。

背景──出生率低下の背後にある経済的要因

世帯収入や住居費、育児費用といった経済的要因は、家族を持つ意思決定に強く影響することが知られています。所得の増加や育児コストの低下が、子どもへの投資の量と質の両方を高めるという経済学的な理論も古くから提示されてきました。一方で、国連人口基金が2025年に14カ国の若年層を対象に行った調査では、意図しない妊娠を避ける障壁と、家族を持つことを阻む障壁が、実質的に同じ要因(経済的な不安定さ、ジェンダーによる差別、パートナーや地域社会からの支援不足、質の高い性と生殖に関する医療へのアクセスの乏しさ、教育や手頃な育児サービスへのアクセスの欠如、将来への悲観)に根ざしていることが示されています。

医療従事者自身が見た「子どもを望まない若者」

IFFSは、加盟する各国の生殖医療学会に所属する医師、胚培養士、看護師などを対象に、少子化や若い世代の出生に対する意識についての調査を実施しました。478件の回答のうち、62.3%が「若い世代は子どもを持ちたいと思っていない」と回答し、「持ちたいと思っている」と答えたのは33.5%にとどまりました。医療の専門知識を持つ集団においても、一般社会と同様の傾向が確認された形です。

子どもを望まない理由として挙げられた要因(463件の回答)のうち、最も多かったのは住居費を含む経済的事情で54.2%、次いで育児費用が46.4%、育児支援の不足が20.5%、気候変動への不安が14%でした。また、「個人としての選択」を理由に挙げた回答も44.3%に上りました。回答者自身についても、44%が子どもを持たないことを自らの意思で選んでいると答えており、非自発的な不妊とは異なる「自発的無子」の広がりが、医療従事者の目線からも浮かび上がっています。

「MoreJoy」キャンペーンの狙いと広がり

IFFSは2024年1月、少子化の実態と家族形成支援の必要性について論じた総説を公表し、これが大きな反響(166件の被引用、7万3千件超の閲覧)を呼んだことを受け、同年4月に啓発キャンペーン「MoreJoy」を開始しました。世界およそ50の国別生殖医療学会と連携するIFFSの規模を生かし、医療従事者、政策立案者、企業という3つの主要な対象に向けて、性別や婚姻状況を問わず家族形成を人権として位置づけるメッセージを発信しています。

キャンペーンの実務としては、加盟学会へのメール配信、学術集会での講演、17言語に翻訳された教育資材やインフォグラフィックを掲載した専用ウェブサイトの開設などが行われました。各国・地域からのアンバサダー制度も設けられ、これまでに120名を超える医療従事者が登録し、SNSや所属学会を通じて情報発信を担っています。活動は2025年のIFFS世界会議(東京)で一つの節目を迎え、世界初の体外受精児として知られる人物がキャンペーンのグローバル・アンバサダーに就任しました。

各国で始まった具体的な政策対応

イタリアでは、生殖補助医療法の制定20周年にあたり、国内の生殖医療学会が上院での会合でキャンペーンを紹介しました。チリでは学会が保健当局と連携し、公的医療における抗ミュラー管ホルモン測定の適用拡大につなげています。フィリピンでは保健省との協議を経て、政府による初の公的体外受精センター設立の方針が示され、学校教育への家族形成カリキュラムの導入も検討されています。ギリシャでは学会が患者団体と協力し、出生率低下に関するリーフレットの配布や学校での啓発活動を行い、首相が体外受精への補助を検討する方針を2025年9月に発表しました。アイルランドでは、大学と病院が連携し、性と生殖に関する科学的知識を学校で伝える取り組みが進められています。

政策面では、シンガポールが1980年代後半から出産支援策を導入し、2001年には拡充されたパッケージを実施しましたが、TFRは1980年の1.74からむしろ2025年には0.95まで低下しており、支援策の効果は限定的だったと分析されています。育児休業や出産一時金などが子どもを持つ動機として高く評価される一方、教育費など他の経済的要因が十分に考慮されていない政策設計の課題も指摘されています。World Population Review(2026年)によれば、2019年以降、55カ国が少子化を受けて既存の支援策を拡充したとされています。

数字が語る「子どもを持たない」という選択の広がり

米国では、50歳未満の成人の47%が子どもを持つ可能性が低いと回答したとする2024年の報道が紹介されています。コロンビアの人口保健調査(2025年)では、女性の76.7%が子どもを持つ計画がないと回答し、子どもを望む意思を示したのはわずか23%でした。一方で、欧州と米国で4000人超を対象に実施された公衆衛生調査(2025年)では、若年層のおよそ60%が子どもを持つ意思を示しており、地域や調査手法によって数値には幅があることも読み取れます。こうした「希望する子どもの数」と「実際に持つ子どもの数」の乖離は、近年の文献で「ファティリティ・ギャップ」として整理されています。

キャンペーンの強みと課題

解説論文は、キャンペーンの取り組みをSWOT分析の枠組みで振り返っています。強みとしては、科学的根拠に基づき、国内外の学会や若手専門職の参画を得て計画的に展開されている点が挙げられています。一方で、資金の限られたことに加え、政策立案者や企業の関与がまだ限定的である点が課題とされ、企業の人事担当者に向けた不妊治療支援策の重要性を伝えるプログラムの必要性が指摘されています。

機会としては、高校や大学での啓発活動を通じて若年層の意識を深く理解し、自発的無子という選択の広がりの背景を探る取り組みが挙げられています。他方、脅威としては、人口過剰論という根強い社会的認識が変わりにくいこと、そして欧州の一部では、キャンペーンが女性に子どもを持つことを強いているのではないかという反発が生じたことが記録されています。論文は、キャンペーンが目指すのは子どもを望みながら社会的・経済的な障壁に直面している人への支援拡大であり、子どもを持たない選択をする権利を否定するものではないと説明しています。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本では、合計特殊出生率が長期的に人口置換水準を下回る状態が続いており、少子化対策は社会全体の課題として位置づけられています。今回の解説論文が示す各国の動きは、医療、教育、企業、政策の各領域が連携して情報発信と支援策を組み合わせる必要性を示唆するものです。特に、学校教育において避妊に関する知識だけでなく、加齢に伴う妊よう性の低下や不妊予防に関する知識をバランスよく伝えるカリキュラムの整備は、日本の教育現場でも検討に値する論点といえます。

同時に、こうした啓発活動が「子どもを持つことへの圧力」として受け止められかねない点には注意が必要とされています。日本の臨床現場においても、不妊治療を望む人への支援拡充と、子どもを持たないという個人の選択を尊重する姿勢とを、両立させた情報提供のあり方が問われることになります。

おわりに

今回の解説論文は、世界的な出生率低下という構造的な課題に対し、医療従事者、政策立案者、企業という3つの主体を対象とした啓発キャンペーンの設計と展開過程を具体的に示すものです。医療従事者自身が「若い世代は子どもを望んでいない」と広く認識している実態や、国や地域によって大きく異なる自発的無子の割合など、キャンペーンが可視化したデータは、今後の政策や臨床現場での対話の土台になり得るものです。人口動態の将来は気候変動や技術革新など不確実な要因にも左右されるとされており、家族を持つかどうかという個人の意思決定を尊重しながら、支援を必要とする人へのアクセスを広げていく取り組みが、引き続き課題として位置づけられています。

参考文献

1. Horton M, Mocanu E, Fauser BCJM. Promoting family-building strategies among key stakeholders: the International Federation of Fertility Societies More Joy campaign. Reprod Biomed Online 2026;53(3):105736. doi:10.1016/j.rbmo.2026.105736.

2. Fauser BCJM, Adamson GD, Boivin J, et al. Declining global fertility rates and the implications for family planning and family building: an IFFS consensus document based on a narrative review of the literature. Hum Reprod Update 2024;30(2):153-173. doi:10.1093/humupd/dmad028.

妊活は夫婦そろって──「王道の健康食」が、出生率をそっと後押し

不妊症は米国において珍しくない問題で、12か月経っても妊娠に至らないカップルは6組に1組にのぼるとされています。体外受精(IVF)をはじめとする生殖補助医療(ART)は高額な負担を伴い、その費用はしばしば4万ドルを超える一方、ARTの実施件数はこの10年で2倍以上に増加し、年間およそ50万周期に迫っています。

葉酸や脂肪酸といった特定の栄養素、魚介類や大豆、乳製品、全粒穀物といった食品群、あるいはカフェイン摂取など、個別の食事要因と妊娠・出産の関連を検討した研究はこれまでも数多く存在してきました。しかし、不妊治療を受けるカップルに対してどのような食事パターン全体を勧めるべきかについては、十分な科学的根拠が示されていませんでした。それでも妊活中のカップルの間で食事に関するアドバイスへの関心は強く、栄養学や生殖医療の専門家によって、妊娠しやすさを高めることを意図した「フェルティリティダイエット」と呼ばれる食事パターンがいくつか提案されてきました。

こうした背景のもと、Fertility and Sterility誌(2026年)に、米国内4施設で2013年6月から2019年4月にかけて実施された前向きコホート研究が掲載されました。不妊治療を計画する2,370組のカップルを対象に、女性・男性それぞれの妊娠前の食事パターンと、生児出生および妊娠喪失との関連を検証した内容です。

方法──不妊治療を計画する2,370組を、食事パターン別に追跡した

対象は、米国4施設(ソルトレイクシティ、アイオワシティ、シカゴ、ミネアポリス)で不妊治療を計画していた異性愛カップルです。もともと男性への葉酸・亜鉛補充の効果を検証したFAZST試験と、その女性パートナーを対象としたIDEAL研究のデータを組み合わせた二次解析として実施されました。

各パートナーは125項目からなる食物摂取頻度調査票に回答し、過去3か月間の食習慣を報告しました。この回答をもとに、4種類の食事パターンについてそれぞれのスコアが算出されました。「Healthy Eating Index-2015(HEI-2015)」と「地中海式食事」は、米国の食事ガイドラインや伝統的なギリシャの食生活への適合度を反映した、いわば王道の健康食スコアです。一方、「フェルティリティダイエット」は排卵障害による不妊との関連が報告された食事要因を、「プロ・フェルティリティダイエット」は生殖補助医療の成績向上と関連した食事要因を、それぞれ反映するよう設計されたスコアです。各パートナーのスコアを合算した「カップル合計スコア」も算出されました。

主要な評価項目は、妊娠20週未満での妊娠喪失、および生児出生です。年齢や人種・民族、教育歴、喫煙、身体活動量、妊活期間、不妊診断の有無などの要因を調整した対数二項モデルを用い、各食事パターンスコアが1標準偏差増加するごとのリスク比が算出されました。

「王道の健康食」で生児出生率が上昇、「フェルティリティダイエット」は女性のみ

2,370組のうち1,054組が妊娠に至り、287組が妊娠喪失を、821組が生児出生を経験しました。

HEI-2015スコアが1標準偏差高いことは、女性で調整後リスク比(aRR)1.06(95%信頼区間1.00〜1.13)、男性で1.05(0.99〜1.11)、カップル合計で1.05(0.99〜1.12)と、いずれも生児出生の可能性の上昇と関連していました。地中海式食事スコアについても同様の傾向で、女性1.05(0.99〜1.12)、男性1.05(0.99〜1.11)、カップル合計1.06(1.00〜1.12)という結果でした。

一方、フェルティリティダイエットへの適合度が生児出生と関連していたのは女性のみで、1標準偏差の上昇によりaRR1.05(0.99〜1.12)と、王道の健康食とほぼ同程度の関連が見られました。男性やカップル合計では、この関連は確認されませんでした。プロ・フェルティリティダイエットについては、女性・男性・カップルいずれにおいても、生児出生との関連は認められませんでした。

妊娠喪失については、4種類の食事パターンいずれについても、女性・男性・カップルのどの単位で見ても、有意な関連は見られませんでした。エネルギー摂取量を調整から除外した場合や、BMIを調整に加えた場合でも、結果は大きく変わりませんでした。

効果が見えたのはIVF以外のカップル、そしてBMIが高いカップルで顕著

いくつかのサブ解析では、興味深い違いが見られました。BMIが30kg/m²以上のカップルでは、HEI-2015や地中海式食事スコアと生児出生との正の関連が、対象集団全体で見た場合よりも強くなる傾向にありました。ただし、対象人数が絞られる分、推定の精度は下がっています。

治療方法別に見ると、王道の健康食・フェルティリティダイエットいずれについても、生児出生との正の関連が見られたのは排卵誘発や人工授精、あるいは治療を行わなかったカップルに限られ、体外受精を受けたカップルでは、いずれの食事パターンとも関連が確認されませんでした。より侵襲的な治療を受けている場合には、食事の質の改善が結果に及ぼす影響は限定的である可能性が示唆されています。

不妊診断の有無で見ると、HEI-2015と生児出生の正の関連は、不妊診断のない女性・カップルでむしろ強く見られました。逆に、地中海式食事やフェルティリティダイエットについては、不妊診断のある女性・男性でより強い関連が見られ、なかでも多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)や無排卵を伴う女性で、その傾向がやや強くなっていました。これは、フェルティリティダイエットへの適合度が高いことによる恩恵が、排卵機能の改善を介して生じている可能性を示唆する結果です。

食事パターンを構成する個々の要素についても検討が行われ、HEI-2015では精製穀物の摂取が少ないこと、地中海式食事では適度な(ゼロでも過量でもない)アルコール摂取が男性・カップル合計で、フェルティリティダイエットでは女性のマルチビタミン使用の頻度が高いことが、それぞれ生児出生の可能性の高さと関連していました。

日本の生殖医療現場にとっての意味

日本では、妊活中の食事指導について、エビデンスに基づいた統一的な指針が十分に整理されているとは言えません。今回の結果は、特定の「フェルティリティダイエット」を新たに取り入れるよりも、地中海式食事に近い、既存の健康的な食習慣を維持することの方が、妊娠・出産の見通しにとって現実的な選択肢となりうることを示しています。

また、今回の研究では、食事パターンへの適合度による恩恵が女性だけでなく男性にも見られた点、そして体外受精を受けるカップルでは効果が確認されなかった点が注目されます。日本の臨床現場でも、より侵襲的な治療を受けているカップルに対しては、食事指導が過度な期待や自責につながらないよう、その位置づけを丁寧に説明することが求められると考えられます。

研究の強みと限界

本研究の強みは、女性だけでなく男性パートナーの食事パターンも合わせて評価した、数少ない研究の一つである点、そして体外受精だけでなく排卵誘発や人工授精を含む幅広い不妊治療を受けるカップルを対象とした、比較的大規模な前向きコホートである点にあります。

一方で限界もあります。対象となったカップルの多くは非ヒスパニック系白人で、高い教育水準を持つ層に偏っており、他の集団への一般化には注意が必要です。また、食事の評価は自己申告による食物摂取頻度調査票に基づいており、測定誤差を伴う可能性があります。もっとも、この誤差は前向きに把握された妊娠・出産の結果とは独立に生じたと考えられるため、結果を大きく歪めるものではないと推測されています。さらに、観察研究であるため、測定されていない要因による残余交絡の可能性は否定できません。

おわりに

今回の研究は、不妊治療を計画するカップルにおいて、王道の健康食への適合度が高いほど、生児出生の可能性がわずかながら高まることを、比較的大規模な前向きコホートで示すものです。特定の「フェルティリティダイエット」への適合は、女性においてのみ同程度の関連が見られたにとどまり、男性やカップル全体では確認されませんでした。両者を天秤にかけたとき、双方のパートナーに恩恵があり、かつ実践のハードルも低いと考えられる王道の健康食は、より特化した「フェルティリティダイエット」に対して実用面での優位性を持つと位置づけられています。今回の知見が食事指導の在り方にどう反映されていくかは、今後の研究の蓄積によってさらに検証されていく必要があるとされています。

参考文献

1. Busse KR, Peri B, Ahmed D, Schisterman EF, Caniglia EC, Sealy NRZ, Mills JL, Johnstone EB, Mendola P, Ryan GL, Peterson CM, Hotaling JM, Hinkle SN, Mumford SL. Preconception dietary patterns in association with live birth and pregnancy loss: a couples-based approach. Fertility and Sterility 2026. doi:10.1016/j.fertnstert.2026.06.028