男性不妊、5つのガイドラインはどこで食い違うか

不妊はカップルにとって身近な問題であり、生涯のうちに妊娠のしづらさを経験する成人は世界で約17.5%にのぼるとされ、その半数近くには男性側の要因が関与していると報告されています。男性不妊は生殖そのものの問題にとどまらず、内分泌・代謝・遺伝・環境といった要因と結びついた、全身の健康状態を映す指標としても注目されるようになっています。

こうした背景のもと、男性不妊の評価・管理については、米国泌尿器科学会/米国生殖医学会(AUA/ASRM)、欧州泌尿器科学会(EAU)、欧州ヒト生殖医学会(ESHRE)、英国国立医療技術評価機構(NICE)などが、それぞれ独自にガイドラインを策定してきました。対象とする医療環境や重視する視点が異なるため、推奨内容には少なからぬ差が生じています。

こうしたなかで2025年、WHOが不妊症に関する新たな包括的ガイドラインを公表しました。従来のWHO文書が主に精液検査の標準化を扱ってきたのに対し、今回は予防から診断・治療までを含みます。この男性不妊に関する部分を、既存の4つの主要ガイドラインと比較した論文が、Andrology誌(2026年)に掲載されました(doi:10.1111/andr.70369)。5つのガイドラインは、どこで一致し、どこで食い違っているのでしょうか。

方法──5つのガイドラインを、共通の枠組みで比較した

この比較分析は、WHOガイドラインを基準点として、AUA/ASRM、EAU、ESHRE、NICEの最新版と照らし合わせる形で行われました。比較の対象領域は、予防、初期評価、診断検査、管理の4つです。

3つの思想モデル──公衆衛生、専門医療、カップル中心

5つのガイドラインは、大きく3つの思想モデルに分類できます。第一は、WHOガイドラインに代表される「世界的な公衆衛生モデル」です。医療資源に大きな差がある多様な医療システムに適用できる最低限の標準を目指し、PICO形式の設問とGRADEという手法に基づく体系的なエビデンス評価に加え、実行可能性・公平性・受容性を考慮する評価から意思決定(EtD)というプロセスを組み込んでいる点が特徴です。

第二は、AUA/ASRMおよびEAUに代表される「専門医療モデル」です。micro-TESEなどにアクセスできる専門医を主な対象とし、内分泌評価・遺伝学的検査・治療選択肢について詳細な推奨を提供します。第三は、ESHREおよびNICEに代表される「カップル中心モデル」で、男性不妊をカップル全体の評価の一部として位置づけ、男性に特化した診療経路は相対的に簡素です。

WHOだけが持つ「予防」という発想

WHOガイドラインの特徴の一つは、予防を診断・治療と並ぶ不妊ケアの柱として位置づけていることです。喫煙や性感染症への対応、禁煙支援や早期治療を重要な予防策として掲げるほか、飲酒・体重・食事・身体活動に関する低コストな生活指導も、多様な医療環境で実施可能な取り組みとして推奨しています。AUA/ASRMやEAUガイドラインでも予防への言及はありますが、独立した領域ではなく臨床評価のなかで間接的に触れられるにとどまり、ESHREやNICEも男性不妊に特化した予防指針は設けていません。

精液検査は「1回でいい」のか、「2回必要」なのか

診断面での明確な相違点の一つが、精液検査の運用方針です。AUA/ASRMおよびEAUガイドラインは、生物学的なばらつきを考慮して原則2回以上の実施を推奨する一方、WHOガイドラインは、基準範囲内であれば1回で足りるとし、異常時のみ11週間以上あけて再検査するという簡略化された方針を採用しています。これは、不必要な検査の繰り返しが医療資源の負担につながりやすい環境への配慮を反映したものです。ホルモン検査・遺伝学的検査・画像検査も、WHOガイドラインでは初期評価に含めず、専門施設での二次評価として扱われています。

抗酸化剤――「使われているのに、推奨できない」

男性不妊の経験的治療として世界的に広く用いられているのが、抗酸化サプリメントです。精子の膜機能・運動率・DNA損傷への酸化ストレスの関与という生物学的根拠があり、低コストで副作用が少ないという印象もあり、コホートによっては不妊男性の40〜50%以上が抗酸化剤に曝露されています。しかし研究デザインの多様性や、出生率のような意味のある指標の報告不足から、臨床効果は依然として不確かです。この限界を踏まえ、WHOガイドラインは「推奨も非推奨もしない」という中立の立場を取っています。

精索静脈瘤(バリコセル)――WHOが唯一「治療」に踏み込んだ疾患

精索静脈瘤(バリコセル)は、男性不妊の原因のなかでもっともよく知られ、治療可能性が高いとされる疾患です。一般男性人口の約15%に、原発性不妊の男性では35〜40%に、続発性不妊ではさらに高い頻度で認められます。WHOガイドラインは、女性パートナーの生殖能に問題がないカップルで、触知可能な(臨床的な)精索静脈瘤と精液所見の異常がある場合に治療を提案しています(条件付き推奨、低い確実性)。一方、画像検査でのみ確認される非触知性(潜在性)の精索静脈瘤は、治療を行わないよう明記しています。

治療法は手術・血管内治療のいずれも許容され、地域の専門性や医療資源、患者の希望に応じた選択が認められています。術式は、再発率・合併症率が低いとされる顕微鏡下手術が優先されつつ、利用できない環境では鼠径部法や後腹膜法も許容されます。触知可能な精索静脈瘤の治療という結論自体はAUA/ASRM・EAUとも一致しており、5つのガイドラインのなかでもっとも合意が得られている領域です。

WHOガイドラインが触れていないもの

WHOガイドラインの範囲は意図的に絞り込まれており、高度な精子機能検査、内分泌療法、詳細な遺伝学的評価、micro-TESEといった、専門的な男性不妊診療で重視される領域の多くは対象外です。これは臨床的重要性が低いことを意味するのではなく、GRADE・PICOという厳格な方法論のもとで、世界的に適用可能な水準のエビデンスを満たす領域が、現時点では抗酸化剤治療と精索静脈瘤治療の2つに限られていたことを反映しています。

臨床的意味・日本への含意

日本では生殖医療専門施設へのアクセスや検査体制が比較的整っており、診療の実態はAUA/ASRMやEAUの専門医療モデルに近い部分が少なくありません。一方で、WHOガイドラインが重視する禁煙支援や性感染症対策、簡潔な初期評価の考え方は、専門施設への紹介前のプライマリケアでトリアージの指針として参考になり得ます。抗酸化剤療法への中立姿勢は日本の診療現場にも共通する課題を浮かび上がらせ、精索静脈瘤の適応基準も、既存の実践を国際的な文脈で裏づける材料となります。

研究の強みと限界

この比較分析の強みは、WHOガイドラインを既存の4つのガイドラインと体系的に照らし合わせ、その位置づけと独自性を明確にした点にあります。一方で、男性不妊領域のエビデンス基盤自体が、小規模な研究や意味のあるアウトカムの報告不足によって特徴づけられ、いずれのガイドラインでも多くの推奨が低い、あるいは非常に低い確実性のエビデンスに基づいています。本分析自体もガイドライン間の記載を整理した総説であり、個々の推奨の妥当性を検証するものではない点にも留意が必要です。

おわりに

WHOによる2025年の不妊ガイドラインは、既存の専門学会ガイドラインを置き換えるものではなく、それらを補完する公衆衛生志向の新しい枠組みです。男性不妊領域における意義は、網羅的な専門的指針を示すことではなく、予防・構造化された臨床評価・厳選された介入を軸に、世界的に適用可能な最低限の標準を確立した点にあります。高度な専門医療を前提とするAUA/ASRMやEAU、カップル中心のESHREやNICEとは異なるアプローチであり、互いに補完し合う文書として理解することが求められます。今後は、エビデンスの強化とあわせ、公衆衛生の枠組みと専門臨床実践との調和が課題として残されています。

参考文献

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