体外受精(IVF)・顕微授精(ICSI)などの生殖補助医療(ART)は、不妊に悩むカップルに妊娠の可能性をもたらす一方、経済的・身体的負担が大きく、治療の成功率にも限りがあります。近年、大気汚染がARTの治療成績に影響しうるリスク因子として注目されており、微小粒子状物質(PM2.5)への曝露が卵巣の顆粒膜細胞や卵子に酸化ストレス・炎症・アポトーシスを引き起こし、胚発生や生殖能力を損なう可能性が動物実験で示されてきました。大気汚染がART治療を受ける女性の採卵数や成熟卵数を減らすという疫学的な報告も出ており、採卵の90日前からゴナドトロピン投与開始までの期間が、卵胞発育の観点から影響を受けやすい時期であることも示唆されていました。しかし、大気汚染物質が卵巣機能を左右する生殖ホルモンにどう作用し、それが卵子の量や質にどうつながっていくのかという仕組みについては、疫学研究による裏づけがほとんどありませんでした。
この問いに取り組んだ論文が、Ecotoxicology and Environmental Safety誌の2026年号に掲載されました(doi:10.1016/j.ecoenv.2026.120644)。中国・広東省でARTを受けた6376人の女性を対象とした後ろ向きコホート研究で、大気汚染物質への短期曝露と卵子関連アウトカムとの関連において、卵胞刺激ホルモン(FSH)、黄体形成ホルモン(LH)、プロラクチン(PRL)、エストラジオール(E2)、テストステロン(T)がどのような仲介的役割を果たしているのかを検証し、あわせてネットワーク毒性学的解析により関与しうる遺伝子・経路の手がかりも探索しています。
方法──6376人の体外受精治療データを、90日間の大気汚染ばく露で解析した
解析対象は、中山大学第一附属病院生殖医学センターのSEARCHコホートに登録された女性です。2017年12月から2021年8月までに広東省内でIVF/ICSI治療を受けた11,332人のうち、居住地や治療周期の除外基準、多嚢胞性卵巣症候群・内分泌疾患・甲状腺異常・下垂体腺腫・悪性腫瘍の既往がある女性を除外し、最終的に6376人が解析対象となりました。平均年齢は31.82±4.48歳で、73.37%が35歳未満でした。
生殖ホルモン(FSH、LH、PRL、E2、T)は、ゴナドトロピン投与開始前の月経周期2〜5日目に採血し、ベースライン値として測定されました。大気汚染物質(PM2.5、二酸化窒素[NO2]、二酸化硫黄[SO2]、一酸化炭素[CO]、オゾン[O3])は、広東省内102カ所の観測局データをもとにしたモデルにより、各女性の居住地における採卵90日前からゴナドトロピン投与開始までの平均濃度として推定されました。この期間の中央値は、PM2.5が26.25μg/m3、NO2が28.48μg/m3、SO2が8.28μg/m3、COが0.74mg/m3、O3が80.12μg/m3でした。統計解析では、一般化線形モデルで汚染物質とホルモンの関連を、ポアソン回帰モデルでホルモンと卵子関連アウトカム(総採卵数、成熟卵数、正常受精卵数)の関連を検討し、Qgcompモデルで複合効果を評価したうえで、媒介分析により生殖ホルモンの仲介的役割を、ネットワーク毒性学的解析により想定される分子経路を検討しています。
NO2はプロラクチンを、オゾンは黄体形成ホルモンとエストラジオールを下げていた
個々の汚染物質と生殖ホルモンの関連を解析した結果、NO2濃度が高い女性ほどPRLが低い傾向を示しました(β [95% CI] = -0.049 [-0.078, -0.020])。また、O3はLHとの負の関連(β = -0.064 [-0.093, -0.036])、およびE2との負の関連(β = -0.137 [-0.168, -0.106])を示しました。年齢層別の解析では、これらの負の関連は35歳未満でより強く現れていましたが(例:O3とE2はβ=-0.151 vs -0.100)、年齢と汚染物質の交互作用は統計的に有意ではなく(P-FDR≥0.05)、あくまで傾向として解釈する必要があります。
複数の汚染物質を同時に見ると、オゾンが最大の寄与因子に
複数の大気汚染物質を同時に考慮したQgcompモデルでは、混合曝露が1四分位上昇するごとにLHが0.010、PRLが0.010、E2が0.030、それぞれ低下する関連が示されました。LHとE2の低下にはO3が、PRLの低下にはNO2が最も強く寄与しており、O3がホルモン変化における主要な寄与因子として一貫して浮かび上がる結果となっています。
FSHが高いほど採卵数は減り、LH・プロラクチン・テストステロンは逆の関連
生殖ホルモンと卵子関連アウトカムの関連を見ると、FSHが高いほど総採卵数(β [95% CI] = -0.274 [-0.292, -0.256])、成熟卵数(β = -0.261)、正常受精卵数(β = -0.272)のいずれも少なくなる関連が一貫して認められました(すべてp for trend < 0.001)。これは、FSHの上昇が卵巣予備能低下の指標として知られていることと整合します。対照的に、LH、PRL、Tは卵子関連アウトカムと正の関連を示しました(すべてβ > 0、P-FDR < 0.05)。
E2については単純な直線関係ではなく、最も低い四分位群と比べて第2四分位群では正の関連(β = 0.020、0.034、0.042)を示した一方、最も高い四分位群では負の関連(β = -0.047、-0.037、-0.046)に転じるという、山型の非線形なパターンが見られました。基礎E2値が卵巣機能の単純な指標ではなく、複雑で双方向的な役割を持つ可能性が指摘されています。複数ホルモンを同時に扱うQgcompモデルでは、混合値が1四分位上昇するごとに総採卵数が0.010減少し、この負の効果にはFSHが、正の寄与にはLHが最も強く関わっていました。
仲介の証拠――プロラクチンとLH、エストラジオールが“橋渡し”をしていた
大気汚染物質と卵子関連アウトカムの関連を、生殖ホルモンがどの程度説明しうるかを検討した媒介分析(統計的な仮定に基づく解析であることに留意が必要です)では、NO2と総採卵数の関連について、PRLを介した間接効果が-1.312(95% CI: -2.244, -0.364)と推定され、PRLがこの関連の一部を説明している可能性が示されました。O3と総採卵数・成熟卵数の関連についても、LHを介した間接効果がそれぞれ-1.399、-1.333と推定され、LHもまた仲介役を担っている可能性が示唆されました。
一方、E2を介した間接効果は総採卵数・成熟卵数ともに正の値(+0.239、+0.178)であったのに対し、直接効果はいずれも負の値(-1.997、-1.837)でした。間接効果と直接効果の向きが逆転するこの“抑制”パターンは、O3の曝露がE2を介して卵子の質を改善することを意味するものではなく、E2と卵子関連アウトカムのあいだにある非線形な関係を直線的な媒介モデルに当てはめたことによる、解析上の限界を反映していると考えられています。
遺伝子ネットワークが示す手がかり――TP53、EGFR、MAPKという経路
疫学的な解析結果を補完する目的で、公共データベースを用いた探索的なネットワーク毒性学解析も行われました。大気汚染物質、生殖ホルモン、女性不妊のそれぞれに関連する遺伝子を照合したところ7076個の重複遺伝子が特定され、TP53、EGFR、SRC、MAPK1、MAPK3などを含む15個のハブ遺伝子が抽出されました。KEGG経路解析ではエストロゲンシグナル伝達経路や甲状腺ホルモンシグナル伝達経路などが有意に濃縮されていました。これらを統合したネットワークからは、O3などの大気汚染物質がTP53、SRC、MAPK3といった遺伝子の発現を調節し、内分泌の恒常性に影響を及ぼすことで女性不妊につながる可能性が示唆されました。O3曝露がラットで副腎由来のストレスホルモンを介してLHを抑制するといった既存の動物実験の知見とも重なりますが、これらの結果は本研究内で直接検証されたものではなく、今後の実験的検証に向けた手がかりとして提示されている点に注意が必要です。
臨床的意味・日本への含意
日本では、大気質は年々改善傾向にあるものの、NO2やO3の濃度は季節や地域によって変動があり、都市部を中心に一定の曝露が続いています。今回の結果を踏まえると、ART治療を計画する時期の大気汚染物質への曝露が、採卵前のホルモン状態を介して卵子の量や質にわずかながら影響しうる可能性が示唆されます。臨床現場では大気汚染そのものを個人単位でコントロールすることは難しいものの、こうした知見は妊活・不妊治療を受ける女性やそのパートナーへの情報提供、環境要因と生殖医療のかかわりを考えていくための基礎資料としての意義を持つと言えます。
研究の強みと限界
この研究の強みとしては、個別曝露と複合曝露の両方をベースラインホルモン値・卵子関連アウトカムとあわせて評価した点、空間分解能の高い曝露評価モデルを用いた点、疫学的観察とネットワーク毒性学的解析を組み合わせた点、6376人という比較的大規模な集団で解析を行った点が挙げられます。一方、電子カルテからの情報抽出であったため喫煙・飲酒・社会経済状況、男性パートナーの精液所見などは調整できておらず、交絡の可能性を排除できません。曝露評価は居住地に基づき職業性曝露や室内空気汚染は考慮されておらず、対象は特定の疾患を除外したART受療女性であるため一般集団への一般化にも注意が必要です。ネットワーク毒性学の結果も探索的・仮説生成的なもので、本研究内で直接検証されたものではありません。
おわりに
今回の後ろ向きコホート研究は、採卵前90日間からゴナドトロピン投与開始までの大気汚染物質への曝露が、個別および複合の形で生殖ホルモンの変化と関連し、その変化がさらに卵子関連アウトカムと関連することを示しました。媒介分析は統計的な仮定に基づく手法であるという限界を伴いつつも、PRL、LH、E2が汚染物質と卵子アウトカムのあいだの関連の一部を説明しうることを示唆しています。あわせて行われたネットワーク毒性学的解析は、エストロゲンシグナル伝達経路をはじめとする内分泌関連経路が関与する可能性を示し、今後の実験的検証に向けた手がかりを提供するものとなりました。これらの知見は、大気汚染がARTを受ける女性の生殖機能に及ぼす影響についての理解を深め、曝露対策や個別化された臨床管理を検討するうえでの科学的な基盤になると位置づけられています。
参考文献
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2. Deng, L., Chen, G., Duan, T., et al.『Mixed effects of ambient air pollutants on oocyte-related outcomes: a novel insight from women undergoing assisted reproductive technology』Ecotoxicology and Environmental Safety 2024;280:116525. doi:10.1016/j.ecoenv.2024.116525.
3. Henriquez, A.R., House, J.S., Snow, S.J., et al.『Ozone-induced dysregulation of neuroendocrine axes requires adrenal-derived stress hormones』Toxicological Sciences 2019;172:38-50. doi:10.1093/toxsci/kfz182.
