妊娠が成立し維持されるためには、母体の免疫系が父親由来の抗原を持つ半同種の胎児を攻撃せずに受け入れる仕組み、いわゆる免疫寛容が不可欠です。近年の研究では、この免疫寛容の土台が妊娠成立よりも前、性交渉を通じた精液への曝露の段階から準備され始めることが分かってきました。精液には制御性T細胞(Treg)の誘導を助ける複数の因子が含まれており、その蓄積が妊娠期の免疫環境を整えると考えられています。
一方で、この精液による免疫寛容の誘導には、カップルによって強弱があることも臨床疫学から示唆されてきました。妊活における性交渉の期間が短い場合や、コンドーム使用歴が長い場合、あるいは提供精子を用いた生殖補助医療の場合に、妊娠高血圧腎症(子癇前症)のリスクが高まることが複数の研究で報告されています。しかし、この個人差が精液を提供する側(ドナー)の性質によるものなのか、それとも受け取る側(レシピエント)の免疫的な体質によるものなのかは、これまで十分に切り分けられてきませんでした。
この問いに答えるため、11人の精液ドナーと3人の女性由来免疫細胞レシピエントを総当たりで組み合わせる、in vitro(試験管内)のペアリング実験を行った論文が、Human Reproduction Open誌の2026年号に掲載されました(doi:10.1093/hropen/hoag064)。精液を細胞外小胞(SEV)画分と可溶性成分(VDSP)画分に分け、それぞれがレシピエントの樹状細胞・T細胞にどう働きかけるかを網羅的に調べた研究です。
方法——精液を2つの画分に分け、11人×3人の組み合わせで免疫細胞に反応させた
研究では、避妊研究への参加者として採取された健常な男性の精液サンプル11人分と、健常な女性ボランティアから採取した末梢血単核球(PBMC)3人分が用いられました。精液はまず遠心分離とショ糖密度勾配超遠心により、細胞外小胞を多く含む「SEV」画分と、小胞を除いた可溶性成分である「VDSP」画分に分離されました。
次に、各レシピエントの単球由来樹状細胞(MoDC)にSEVまたはVDSPを取り込ませ、そのうえで同じレシピエント由来のナイーブCD4陽性T細胞と7日間共培養しました。培養後、FOXP3陽性・CD25高発現・CD127低発現を指標とする制御性T細胞(Treg)がどの程度誘導されたか、さらにKi-67陽性(増殖中)、PD-1陽性かつCTLA-4陽性、TIGIT陽性、AREG陽性といった機能的なサブタイプの内訳がフローサイトメトリーで解析されました。あわせて、精液に再び曝露させた際の反応の強まり(活性化誘導マーカー、AIM)も評価されました。
誘導率は2.8%から63.4%——ばらつきの主役は「受け手」側だった
11人のドナー精液×3人のレシピエントの組み合わせ全体で見ると、Tregの誘導率は総CD4陽性T細胞の2.8%から63.4%まで、実に20倍以上の幅で分布していました。増殖中のKi-67陽性Tregは1.87%から40.3%、PD-1陽性かつCTLA-4陽性のTregは0.46%から28.6%、TIGIT陽性Tregは0.31%から22.4%、組織修復に関わるAREG陽性Tregは0.475%から25.2%と、いずれのサブタイプでも大きなばらつきが確認されました。
このばらつきを、精液ドナー側の要因とレシピエント側の要因に分けて検討したところ、3人のレシピエントのうち1人(論文中でレシピエントCと呼ばれる人物)は、どのドナーの精液に対しても、SEV・VDSPいずれの画分に対しても、一貫して低い反応しか示しませんでした。対照的に、別のレシピエント(レシピエントB)はほぼすべての指標で最も強い反応を示し、残る1人(レシピエントA)は中間的な反応を示しました。一方、ドナー側では、特定のドナーの精液が全レシピエントで一貫して弱い反応しか引き起こさないという例はあったものの、SEVとVDSPの両方の効果を合わせて考えると、11人のドナーのうち誰の精液も、まったく免疫寛容反応を誘導しない例はありませんでした。研究チームは、この結果から、寛容誘導の個人差はドナー側の要因よりもレシピエント側の要因によって強く規定されている可能性が高いと結論づけています。
免疫のブレーキ役HLA-Gとアデノシン——小胞と可溶性成分で異なる顔
この個人差を生み出す分子的な背景を探るため、精液中の免疫調整分子も解析されました。HLA-Gは、ナチュラルキラー細胞の働きを抑え、Tregの拡大を促すことが知られる非古典的なHLA分子です。ウエスタンブロット解析の結果、HLA-Gの含有量はドナーによって検出限界以下から高濃度まで大きく異なり、SEV画分には膜結合型に近い高分子量のアイソフォームが含まれる一方、VDSP画分には含まれないという、画分による分布の違いも確認されました。
さらに、細胞外のATPをアデノシン(免疫抑制性の代謝物)に変換する酵素であるCD73は、SEV画分には存在する一方、VDSP画分には検出されませんでした。実際にATPを加えて反応を見る機能実験でも、SEV画分のほぼすべてでアデノシン産生量の増加が確認された一方、VDSP画分でこの反応を示したのは1例のみでした。ドナー間でも、このアデノシン産生能力には約4倍の差があったと報告されています。また、TregをMoDC経由で精液に再度曝露させると、特にVDSP画分に対して活性化マーカーの発現が高まる現象(免疫の「学習」のような反応)も観察され、SEVとVDSPが異なる経路で免疫寛容に関与している可能性が示されました。
「相性」は運命ではなく、積み重ねの中にある
日本では、妊娠高血圧腎症や原因不明の不妊、反復着床不全、習慣流産といった課題が、生殖医療の現場でしばしば議論されます。これらの一部は、今回の研究が示すような精液とレシピエント側の免疫的な組み合わせの問題として捉え直せる可能性があります。研究チームは、免疫学的な「相性」を、カップルのどちらか一方に原因を求める二者択一の性質としてではなく、精液の組成(SEVに含まれる因子を含む)、レシピエントの免疫系が持つ基礎的・誘導的な制御能力、そしてこれまでの性交渉歴という、複数の軸からなる多次元的な状態として捉える枠組みを提案しています。
臨床現場では、これまで妊娠高血圧腎症のリスク因子として、提供精子の使用や交際期間の短さ、避妊具の使用歴といった「精液への曝露量」が主に注目されてきました。今回の知見は、それに加えて受け手側の免疫的な体質という、これまで測定されてこなかった軸が存在することを示唆しています。研究チームは、将来的には精液に対する寛容反応そのものを測定する検査が、原因不明の不妊やカップル間の相性を評価する新たな手段になりうると述べています。ただし、これは特定の組み合わせが「妊娠に不向き」であると運命づけるものではなく、あくまで確率的な傾向を示すものである点には注意が必要です。
研究の強みと限界
この研究の強みは、単一のドナーやレシピエントを対象とするのではなく、11人のドナーと3人のレシピエントを総当たりで組み合わせるマトリックス設計により、ドナー要因とレシピエント要因を分離して評価した点にあります。一方で限界も複数指摘されています。まず、レシピエントの人数は3人(追加実験を含めても4人)と少なく、不妊歴や妊孕性といった臨床的な背景で選別されたわけではありません。また、HLA-GやCD73の含有量・活性を、実際のTregやAIM反応と直接相関させる解析は行われておらず、これらの分子が個人差を生む決定的な機序であるとまでは証明されていません。使用された細胞も末梢血由来であり、着床が実際に起こる子宮内膜など組織局所の免疫環境を反映しているとは限らないため、今回の結果を直接的に妊娠成立率や妊娠合併症と結びつけることはできません。さらに、SEVとVDSPの結果を平均して「精液全体」の効果を推定する手法が用いられており、分画していない精液そのものを直接検証したわけではない点も限界として挙げられています。
おわりに
今回の研究は、精液がもたらす免疫寛容の誘導に大きな個人差があること、そしてその個人差には精液ドナー側の要因よりもレシピエント側の免疫的な体質がより強く関わっている可能性を、in vitroの実験系で示しました。精液中のHLA-GやCD73といった分子の含有量・活性がドナーごとに異なること、そして同じ精液への再曝露によってTregの活性化が高まる「記憶」のような反応が観察されたことも、あわせて報告されています。今後は、長期的なパートナー関係にあるカップルや、妊娠合併症・不育症を経験したカップルを対象とした臨床研究によって、この免疫学的な相性が実際の妊娠転帰とどう関連するのかを検証していくことが課題として挙げられています。
参考文献
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