産業の空気が、精子を壊す──炭化水素曝露と男性不妊の科学

不妊症は、生殖年齢にあるカップルの約6組に1組、世界で4800万組・1億8600万人が経験するとされる健康課題です。その半数以上に男性側の要因が関わっているとされ、精液所見の低下には喫煙や飲酒といった生活習慣に加え、多環芳香族炭化水素(PAH)をはじめとする大気中の有害物質への曝露が関係すると指摘されてきました。

PAHは、木材やバイオマス、石油、天然ガスなどの不完全燃焼によって発生する化学物質群で、脂溶性が高く内分泌かく乱作用も持つとされています。プラスチック製造工場、製鉄業の電気炉(EAF)工程、廃棄物焼却施設、アルミニウム精錬所は、いずれもPAHや金属フュームへの曝露リスクが高い職場として知られていますが、これら4業種を横断的に比較し、精液所見と酸化ストレス、精子DNA損傷までを一貫して評価した研究は多くありませんでした。

こうした産業曝露が、精子の質と遺伝的な健全性にどこまで影響するのか。Journal of Biochemical and Molecular Toxicology誌(2026年)に掲載された研究は、81人の男性労働者を対象に、この問いに正面から取り組んでいます(doi:10.1002/jbt.71052)。

方法──4つの産業から81人を集め、精液・酸化ストレス・DNAを調べた

対象は、対照群17人と、プラスチック製造業18人、製鉄業電気炉(EAF)工程15人、廃棄物焼却施設16人、アルミニウム精錬所15人の労働者で、合計81人です。年齢20〜50歳で、それぞれの職場に1年以上勤務していることを条件とし、対照群にはWHO基準による正常精液所見の労働者が選ばれました。慢性疾患やホルモン関連治療の既往、精索静脈瘤の手術歴や泌尿生殖器感染症、重喫煙者(1日10本超)や大量飲酒者などは除外されています。

精液所見はWHO(2021年版)マニュアルに準拠して精子濃度・運動率・正常形態率を評価し、酸化ストレスは活性酸素種(ROS、NBT法)、脂質過酸化の指標であるMDA、抗酸化酵素であるSODとCATの活性で測定しました。さらに、先体(アクロソーム)の完全性、低浸透圧膨化試験(HOST)による膜機能、原子吸光分光法(AAS)による精漿中の重金属濃度(鉛、カドミウム、クロム、ニッケル、ヒ素、水銀、アルミニウム、銅、亜鉛)、そして精子DNA損傷を、精子クロマチン分散試験(SCD)、コメットアッセイ、フローサイトメトリーという3つの異なる手法で評価しています。加えて、公共データベースを用いたネットワーク薬理学的解析により、PAH曝露と男性不妊に共通する標的遺伝子と、その先にあるシグナル経路の探索も行われました。

精子の数も、動きも、形も、確実に落ちていた

対照群の精子濃度は平均68.4±12.7 百万/mL、総運動率58.2±8.9%、前進運動率46.7±7.5%、正常形態率12.4±2.1%と、いずれもWHO基準の良好域にありました。一方、曝露を受けた4群では、いずれの指標も対照群と比べて有意に低下していました(p<0.001)。

精子濃度の低下がもっとも大きかったのは製鉄EAF労働者で、平均41.3±10.5 百万/mLと、対照群のおよそ6割程度にとどまりました。前進運動率も28.6±5.4%と、対照群の半分近くまで落ち込んでいます。廃棄物焼却施設の労働者は45.8±10.9 百万/mL、アルミニウム精錬労働者は48.3±9.6 百万/mL、プラスチック製造労働者は52.6±11.4 百万/mLと、業種によって程度の差はあるものの、いずれも明確な低下が見られました。正常形態率については、廃棄物焼却施設(5.4±1.7%)とアルミニウム精錬(6.8±1.9%)でとくに低く、対照群の半分以下という結果でした。

酸化ストレスの数値が、そのまま精子の質と連動していた

脂質過酸化の指標であるMDA濃度は、対照群2.31±0.42 nmol/mLに対し、製鉄EAF労働者では5.81±0.67 nmol/mLと、2倍以上に達していました(p<0.001)。抗酸化酵素であるSOD活性は対照群6.72±0.51 U/mLからアルミニウム精錬労働者3.54±0.39 U/mLへ、CAT活性は対照群4.86±0.48 U/mLから製鉄EAF労働者2.53±0.31 U/mLへと、いずれも大きく低下していました。活性酸素(ROS)量も、対照群2.12±0.38 RLU/秒/百万精子から、プラスチック11.6±2.7、製鉄EAF 15.9±3.3、廃棄物焼却21.7±4.2、アルミニウム26.4±4.8と、曝露の強さに応じて段階的に上昇しています。NBT染色で強陽性を示した細胞の割合も、対照群14.2%からアルミニウム精錬労働者68.9%まで、用量反応的に増えていました。

これらの酸化ストレス指標は、精液所見と統計的にも強く結びついていました。ROS値は精子濃度と負の相関(r=−0.68、p=0.001)、MDA濃度は前進運動率と負の相関(r=−0.67、p=0.031)を示す一方、SOD活性は精子濃度(r=+0.54、p=0.045)や前進運動率(r=+0.59、p=0.008)と正の相関を示し、CAT活性も精子濃度と有意な正の相関(p=0.014)を示しました。酸化ストレスが強いほど精子の質は低く、抗酸化能が保たれているほど質が保たれるという関係が数値として裏づけられた形です。先体の完全性も対照群84.1±6.2%からアルミニウム精錬労働者48.9±7.6%へ、HOSTによる膜機能陽性率も対照群78.4%から24.6%へと、それぞれ大きく低下していました。

「アルミニウム」が、突出して精子のDNAを傷つけていた

精漿中の重金属濃度をAASで測定したところ、鉛・カドミウム・クロム・ニッケル・ヒ素・水銀・アルミニウム・銅は、いずれも曝露群で対照群より有意に高値でした(すべてp<0.001、銅のみp=0.002)。とくにアルミニウムは対照群12.6±3.4 µg/Lからアルミニウム精錬労働者36.9±6.4 µg/Lへと約3倍に達しています。逆に、保護的なはたらきを持つ亜鉛は、対照群79.5±10.6 µg/Lからアルミニウム精錬労働者55.3±7.4 µg/Lへと、曝露が強い群ほど低下する傾向が見られました。

精子DNAの損傷は、3つの異なる手法で一貫した結果が得られています。フローサイトメトリーによるDNA断片化率は、対照群21.95%からアルミニウム精錬労働者74.93%へと、対照群の3倍以上に達しました。コメットアッセイでも、テール中DNA割合は対照群7.9±1.0%からアルミニウム精錬労働者58.9±6.3%へ、損傷指標のOTM値は1.21±0.28から15.82±1.86へと段階的に増加していました。統計的にも、廃棄物焼却・アルミニウム精錬の2群は、プラスチック製造・製鉄EAFの2群よりさらに損傷が大きいという結果でした(p<0.05)。3つの評価手法が同じ方向を示していることは、この所見の信頼性を高めるものといえます。

遺伝子解析が示した「共通の標的」──EGFR、ESR1、RELAなど67個

研究チームは、精液所見や酸化ストレスの測定に加えて、PAH曝露と男性不妊がどのような分子経路でつながっているのかを、公共データベースを用いたネットワーク薬理学的手法で探索しています。PAHの標的遺伝子と男性不妊関連遺伝子を重ね合わせたところ、両者に共通する遺伝子が67個特定されました。これらをタンパク質相互作用データベース(STRING)に投入してネットワークを構築し、つながりの強さで上位に位置づけられたハブ遺伝子として、EGFR、ESR1、RELA、PTGS2、MMP2、MMP9、ESR2、AR、PPARA、EP300の10個が挙げられました。

これらは機能的にいくつかのグループに分けられます。RELAとPTGS2は炎症シグナルと酸化ストレス応答に、ESR1・ESR2・ARは性ステロイドホルモンのシグナル伝達に、MMP2とMMP9は細胞外基質のリモデリングに関わるとされています。さらにKEGG経路解析では、低酸素応答に関わるHIF-1シグナル伝達経路、炎症性サイトカインのTNFシグナル伝達経路、IL-17シグナル伝達経路、エストロゲンシグナル伝達経路、化学発がん物質の受容体活性化経路が、有意に濃縮されていました。実験で観察された酸化ストレスの上昇や抗酸化能の低下、DNA断片化の増加という現象は、これらの分子経路によって説明できる可能性がある、というのがこの解析の位置づけです。

臨床的意味・日本への含意

日本では、鉛・カドミウム・アルミニウムなど有害物質を取り扱う作業場に対して、労働安全衛生法に基づく作業環境測定や特殊健康診断が定められています。一方で、これらの制度は主に呼吸器や神経系への影響を想定して設計されており、精液所見や生殖機能を直接の評価対象とする枠組みは一般的ではありません。今回の研究が示すように、重金属や多環芳香族炭化水素への曝露が精子DNAの損傷にまで及ぶ可能性があるとすれば、生殖年齢にある労働者の健康管理において、酸化ストレスや精液所見を評価項目に加える意義は小さくないと考えられます。

生殖医療の臨床現場では、原因不明の不妊や体外受精での受精率低下、胚の発育不良といった状況で、精子DNA断片化率が確認されることが増えています。今回の知見は、そうした損傷の背景に職業性のPAH曝露や重金属曝露が潜んでいる可能性を示唆するものです。問診で職業歴や作業環境を確認することは、原因の手がかりとして有用な情報になり得ます。ただし、今回の研究はインドの特定地域における横断研究であり、曝露の水準や労働環境は国や事業所によって大きく異なるため、数値をそのまま日本の労働者に当てはめるのではなく、傾向として理解することが妥当です。

研究の強みと限界

この研究の強みは、精液所見、酸化ストレス、重金属濃度、精子DNA損傷という複数のエンドポイントを、同一の対象集団で一貫して測定している点にあります。とくに精子DNA損傷については、原理の異なる3つの手法で同じ方向の結果が得られており、単一の測定法によるバイアスの可能性は低いと考えられます。さらに、実験データにとどまらず、ネットワーク薬理学的解析によって関与しうる分子経路の仮説を示している点も特徴的です。

一方で、いくつかの限界も明記されています。横断研究であるため、PAH曝露と精子機能障害の因果関係を証明するものではなく、長期的な追跡調査が必要とされています。曝露量についても個人ばく露測定や尿中PAH代謝物などの生体モニタリングが行われておらず、曝露の程度を誤って分類している可能性があるほか、食事や生活習慣といった交絡因子や、PAH以外の環境汚染物質への同時曝露は十分に調整されていません。対象人数も業種ごとの層別解析を行うには限られた規模で、受精率や妊娠率といった生殖アウトカムそのものは評価されていません。研究者らは、これらの限界を踏まえたうえで、複数のエンドポイントで一貫した結果が得られたこと自体が、生物学的な妥当性を支えていると述べています。

おわりに

今回の研究は、プラスチック製造、製鉄電気炉、廃棄物焼却、アルミニウム精錬という4つの産業に従事する労働者において、多環芳香族炭化水素や重金属への曝露が、精液所見の低下と酸化ストレスの上昇、そして精子DNAの損傷にまで及んでいることを、複数の手法を通じて示しました。とりわけアルミニウム精錬と廃棄物焼却の労働者では、酸化ストレス指標と精子DNA損傷の程度がもっとも大きく、影響の強さに業種間の差があることも明らかになっています。ネットワーク薬理学的解析からは、HIF-1シグナル伝達経路や炎症関連経路、性ステロイドホルモンのシグナル伝達が関与する可能性が示唆されました。

不妊は運命ではなく、確率とメカニズムの問題であり、産業曝露のような修正可能な要因が関わっているのであれば、防護策や作業環境の改善によって影響を軽減できる余地があります。今後は、個人ばく露量を反映する生体モニタリングを組み込んだ長期追跡研究や、受精率・妊娠率といった生殖アウトカムまで含めた検証が求められます。

参考文献

1. Pichandi, M. K., Ranganathanan, B., Abilash, D.『Industrial Hydrocarbons Exposure Deteriorates Sperm Integrity and Reproductive Function』Journal of Biochemical and Molecular Toxicology 2026;40:e71052. doi:10.1002/jbt.71052

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