体外受精において、胚移植時に使用される培地は妊娠成立を左右しうる要素のひとつとされてきました。中でもヒアルロン酸を高濃度に含む移植培地「EmbryoGlue」は、通常の培地に比べてヒアルロン酸濃度が高く(0.5 mg/ml)、アルブミン含有量を抑えることで、子宮内腔での胚の保持や、胚と子宮内膜の初期接着を助けると考えられており、世界的に広く使われています。ただし製造元は最短10分から最長4時間という曝露時間の目安を示しているものの、上限を明確に定めていません。そのため実際の臨床現場では、培養室の作業状況や医師のスケジュールといった組織的な事情によって、胚がEmbryoGlueに浸されている時間は数分から数時間まで大きくばらつくのが実情です。
この曝露時間の長さが胚の生存性や着床能力にどう影響するのかは、これまで正面から検証されてこなかった論点です。手作業による時間記録には、記憶違いや近似値による誤差が入り込みやすく、正確な曝露時間を評価すること自体が難しかったためです。近年、培養室内の作業を自動的に時刻記録する追跡システムの普及により、こうした手技的なタイミングを精密に測定できる環境が整ってきました。
この技術的な進歩を背景に、EmbryoGlueへの曝露時間と出産率の関連を検証した論文がReproductive Biomedicine Online誌2026年(第53巻4号)に掲載されました(doi:10.1016/j.rbmo.2026.105845)。フランスの体外受精専門施設で実施された、1089件の新鮮胚移植を対象とする後ろ向きコホート研究です。
方法──1089件の新鮮胚移植を、自動追跡システムで解析した
この研究は、フランスの民間IVFセンターで2022年2月から2024年7月までに実施された新鮮胚移植のうち、曝露時間の自動記録データが得られた1089件(878人の女性)を対象としています。胚は培養皿からEmbryoGlueを満たした移植皿へ移された時点から、子宮内への移植までの時間を「曝露時間」と定義し、CooperSurgical社の自動追跡システム「RI Witness」による時刻記録を用いて、1件ごとに精密に算出しました。主要評価項目は出産(妊娠24週以降の生児出産)、副次評価項目は臨床妊娠(超音波で確認された妊娠嚢の有無)です。解析では、曝露時間を四分位(Q1〜Q4)に分けた比較に加え、連続変数としても扱い、母体年齢・胚の発育段階(day2、day3、day5、day6)・移植胚数・胚の質で調整した多変量ロジスティック回帰分析を行いました。胚移植は単一胚移植を基本方針としつつ、反復着床不全の既往がある場合などには2〜3個の胚を移植するケースも含まれています。
平均135分、1分から407分まで──曝露時間の実態
胚のEmbryoGlueへの平均曝露時間は135.1±81.3分(中央値112分)で、最短1分から最長407分(約6.8時間)まで、非常に幅広く分布していました。この分布をもとに四分位に分けると、Q1は72分未満、Q2は72〜112分、Q3は113〜194分、Q4は194分超となりました。全体の出産率は26.4%(288/1089件)、臨床妊娠率は36.6%(399件)でした。単一胚移植は68.5%(746件)を占め、移植のタイミングはday3が319件、day5が624件と、この2つが中心でした。
出産率は26.4%、曝露時間による差はなし
曝露時間の四分位別に出産率をみると、Q1で27.4%(76/277件)、Q2で29.9%(80/268件)、Q3で24.3%(66/272件)、Q4で24.3%(66/272件)となり、統計的に有意な差は認められませんでした(P=0.381)。曝露時間が長いQ3・Q4でやや出産率が低い傾向はみられたものの、これは偶然の範囲内という結果です。出産に至った移植群と至らなかった群を比べても、平均曝露時間はそれぞれ128.4分と137.5分で、統計的な差はありませんでした。
多変量解析でも「関連なし」は揺るがなかった
曝露時間を連続変数として扱った単変量ロジスティック回帰分析では、曝露時間が長くなるほど出産の確率がわずかに下がる傾向がみられましたが、統計的に有意ではありませんでした(オッズ比0.999、95% CI 0.997〜1.000、P=0.099)。母体年齢・胚の発育段階・移植胚数・胚の質で調整した多変量解析でも結果は変わらず、有意な関連は確認されませんでした(調整後オッズ比0.999、95% CI 0.997〜1.001、P=0.230)。母体年齢(39歳未満/以上)や胚の発育段階(初期胚/胚盤胞)で分けたサブグループ解析でも、いずれの群でも曝露時間と出産率のあいだに有意な関連は見られませんでした。オッズ比が0.999という数値は、実質的に1.000(関連なし)とほぼ同義であり、曝露時間が1分延びても出産の可能性はほとんど変化しないことを意味します。
「短ければ良い」「長ければ良い」──分かれていた先行研究との対比
EmbryoGlueの曝露時間をめぐっては、これまでにも限られた数の報告がありましたが、結論は一致していませんでした。2015年に発表された監査研究は、曝露時間を「31分超(長時間)」と「30分未満(短時間)」に分けて比較し、短時間群のほうが生化学的妊娠率が有意に高いという結果を報告しています(P=0.0323)。ただしこの研究は、2つの異なる時期のデータを非ランダムに比較したもので、30分という区切りにも明確な根拠はなく、出産率を主要評価項目としていませんでした。
一方、凍結融解胚移植を対象とした前向きランダム化研究では、融解後1〜3時間の曝露群を比較し、2時間超で臨床妊娠率が有意に上昇したと報告されています(P<0.05)が、対象は119件と限られ、出産率は評価されていません。別の大規模な後ろ向き研究では、曝露時間が10〜30分でも2〜4時間でも、EmbryoGlue使用群は標準培地群より臨床妊娠率(P=0.031)・出産率(P=0.023)がともに改善しており、曝露時間の長短自体は結果を左右しなかったとされています。動物実験でも、マウス胚を4時間までヒアルロン酸濃縮培地に曝露しても着床や胎児発育はむしろ良好に保たれており、今回のヒトでの知見と方向性が一致しています。今回の研究は、これらの先行知見と矛盾するものではなく、曝露時間そのものに焦点を当てた初めての研究として、手つかずだった論点を補完する位置づけにあります。
臨床的な意味・日本への含意
日本の体外受精施設でも、EmbryoGlueをはじめとするヒアルロン酸濃縮培地は広く使用されており、培養室の作業スケジュールや医師の外来状況によって、胚の待機時間が数分から数時間にわたって変動する状況は共通しています。今回の結果は、製造元が推奨する10分〜4時間という範囲の中であれば、曝露時間を厳密に管理しなくても出産率に不利益が生じない可能性を示しています。臨床現場では、複数の胚移植や採卵・移植の同時進行など、時間的な制約が生じる場面が少なくありませんが、曝露時間の長さそのものを過度に懸念する必要はなさそうだという情報は、培養室の運用に一定の柔軟性をもたらす材料になり得ます。ただし製造元が示す推奨範囲を大きく外れる極端な曝露(たとえば数分未満や8時間超)についてはデータがなく、この研究の結論が及ぶ範囲ではない点には注意が必要です。
研究の強みと限界
この研究の強みは、自動追跡システムによって曝露時間を客観的かつ精密に測定した点にあります。手作業による記録につきものの記憶違いや近似値の混入を避けられ、対象期間中のほぼすべての新鮮胚移植を組み入れた大規模なサンプルサイズ(1089件)により、日常診療の実態を反映した外部妥当性の高い結果といえます。一方で限界もあります。単一施設での後ろ向き研究であるため、他施設への一般化には慎重さが求められます。同一女性が複数回移植を受けているケースが含まれているにもかかわらず、この患者内相関は統計解析上考慮されていません。胚の質の評価は標準化された基準とタイムラプスシステムを用いているものの、評価者の主観が完全には排除できません。EmbryoGlueをカテーテルに充填する量にも、施行ごとにわずかなばらつきが生じている可能性があります。さらに今回の対象は新鮮胚移植に限られており、凍結融解胚移植でも同様の結果が得られるかは、今後の検証課題として残されています。
おわりに
1089件の新鮮胚移植を対象としたこの研究では、EmbryoGlueへの曝露時間の長さと出産率のあいだに、統計的に有意な関連は認められませんでした。四分位比較、単変量・多変量ロジスティック回帰分析、年齢や胚のステージ別のサブグループ解析など、複数の解析手法を通じて一貫した結果が得られており、日常診療で生じる幅広い曝露時間の範囲内では、胚の生存性や着床能力が損なわれる可能性は低いことが示唆されています。今後は、他施設を含む前向き研究によってこの知見を検証するとともに、特定の患者集団において曝露時間を調整することで結果が改善するかどうかを探る研究が期待されます。
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