日本で不妊治療の公的医療保険が適用されたのは2022年4月のことです。体外受精や顕微授精にかかる費用負担が大きく軽減され、治療を受ける患者数は保険適用後に急増しました。一方で、この保険制度には年齢や胚移植回数に応じた上限が設けられており、女性の年齢が43歳未満であること、また39歳以下は最大6回、40〜42歳は最大3回までしか胚移植に保険が使えないという制約があります。
日本産科婦人科学会は2008年、多胎妊娠を減らす目的で、移植する胚を原則1個とする単一胚移植(SET)の指針を示し、これによって体外受精由来の多胎妊娠は大きく減少してきました。しかし、保険適用によって胚移植の回数が実質的に制限されたことで、患者や医師が「限られた回数の中で妊娠の可能性を最大化したい」と考え、複数個の胚を同時に移植する「複数胚移植(MBT)」を選びやすくなったのではないか、という懸念が生じています。
こうした背景のもと、Reproductive Medicine and Biology誌(2026年)に、大阪の生殖医療クリニック1施設における2020年1月から2025年2月までの胚盤胞移植7,090周期を対象とした後方視的研究が掲載されました。保険適用の前後で、複数胚移植と多胎妊娠の発生率がどのように変化したのかを、大規模な実臨床データで検証した内容です(doi:10.1002/rmb2.70078)。
方法──保険適用の前後、7,090周期の胚盤胞移植を比較した
対象は、大阪府内の体外受精専門クリニックで2020年1月から2025年2月にかけて実施された胚盤胞移植の周期です。保険適用前(2020年1月〜2022年3月、2,764周期)と、保険適用下(2022年4月〜2025年2月、4,326周期)に分けて比較されました。分割期・2段階移植の周期は解析対象から除外され、胚盤胞移植のみが対象とされています。多胎妊娠は、経腟超音波検査で胎嚢が2つ以上確認された場合と定義されました。
単一胚移植を第一選択とする臨床方針は、保険適用の前後で変更されていません。患者年齢や男性パートナーの年齢、妊娠・流産・出産歴、胚移植回数、卵管因子、甲状腺機能異常、胚の質などを調整したうえで、複数胚移植の選択や多胎妊娠の発生に関わる要因が、一般化推定方程式(GEE)モデルを用いて解析されました。
複数胚移植は5.8%から20.1%へ、多胎妊娠は3.7倍に
保険適用下では、患者・パートナーともに年齢が有意に若く、良好胚盤胞の移植割合も高いという特徴が見られました。一方で、複数胚移植の割合は保険適用前の5.8%から、保険適用下では20.1%へと、およそ3.5倍に上昇しました。これに伴い、多胎妊娠の割合も0.7%から2.6%へと、およそ3.7倍に増加しています。臨床妊娠率も41.9%から46.4%へと上昇しており、保険適用が妊娠成績の向上と同時に多胎リスクの上昇を伴っていたことになります。
年齢や胚移植回数、胚の質など多数の背景因子を調整した多変量解析でも、保険適用は複数胚移植の選択と強く関連しており、調整オッズ比は6.59(95%信頼区間5.19〜8.36)でした。つまり、他の条件が同じであれば、保険適用下では複数胚移植が選ばれる可能性がおよそ6.6倍高かったことになります。さらに、複数胚移植そのものが多胎妊娠の最も強いリスク因子であり、調整オッズ比は61.2(95%信頼区間33.8〜110.8)に達しました。保険適用による多胎妊娠の増加は、統計モデル上、複数胚移植という臨床上の選択を介して生じていたと考えられます。
年齢が上がるほど、保険は複数胚移植を後押しした
年齢層別の解析では、35歳未満では複数胚移植の割合が保険適用前の5.5%から適用下で12.0%(調整オッズ比3.39、95%信頼区間2.15〜5.35)に、35〜39歳では5.5%から19.1%(同5.16、95%信頼区間3.54〜7.51)に、40〜43歳では7.0%から35.0%(同10.4、95%信頼区間6.85〜15.9)へと上昇しました。年齢層と保険適用の間には有意な交互作用が認められ(p<0.001)、年齢が高い患者ほど、保険適用による複数胚移植への傾きが大きかったことが示されています。
「あと1回」が近づくほど、複数胚移植は増えていた
保険適用下でこれまでに受けた胚移植の回数別に見ると、40歳未満では、最初の保険適用周期での複数胚移植は4.4%だったのに対し、保険で認められた最後の周期(6回目)では74.6%まで上昇していました。多胎妊娠の割合も、最初の周期の1.1%から最後の周期では11.1%に増加しています。40〜42歳の群でも同様の傾向が見られ、最初の周期で15.0%だった複数胚移植は、保険で認められた最後の周期(3回目)には72.6%に達し、多胎妊娠も0.5%から6.2%に増加しました。いずれの傾向も統計学的に有意でした(p<0.001)。残りの保険適用回数が少なくなるにつれて、複数胚移植を選ぶ傾向が強まっていたことがうかがえます。
日本の生殖医療現場にとっての意味
日本では、全国規模のART登録データにおいて、複数胚移植の割合は2021年の15.4%から2022年には15.0%とほぼ横ばいであったと報告されています。この論文の結果と一見異なりますが、全国データでは保険適用開始からわずか9か月間の観察にとどまり、保険で認められた移植回数の上限に達した患者がまだ少なかった可能性が指摘されています。一方で、日本のART登録では2023年に多胎妊娠数が過去最多を記録したとの報告もあり、保険適用の影響が時間差で表れている可能性が議論されています。
諸外国の経験も参考になります。スウェーデンでは移植胚数を制限する指針の導入により多胎出生率が大きく低下し、妊娠率は維持されたと報告されています。ベルギーでも、単一胚移植を条件とした保険償還制度への転換によって、多胎妊娠率が妊娠率を犠牲にすることなく低下しました。これらの例は、保険制度の設計自体が胚移植の選択に強い影響を与えうることを示しています。日本の現場では、年齢や周期数に基づく保険の制約が、結果として複数胚移植を選びやすくする方向に働いている可能性があり、医師が患者に説明する際には、残りの保険適用回数を意識した判断が多胎リスクの過小評価につながらないよう、注意が必要とされています。
研究の強みと限界
本研究の強みは、単一施設ながら7,090周期という規模の大きさと、保険適用前後で一貫した臨床方針のもとに比較を行った点にあります。分割期胚や2段階移植を除外し、胚盤胞移植に対象を絞ったことで、複数胚移植の変化をより明確に捉えられた可能性があります。
一方で限界もあります。後方視的な単一施設の研究であるため、他施設への一般化には注意が必要です。また、多胎妊娠の増加が確認された一方で、出生児の長期的な周産期・新生児予後までは追跡されていません。全国規模のデータによる検証と、前向きの多施設研究が今後の課題として挙げられています。
おわりに
今回の研究は、不妊治療への公的医療保険の適用が、経済的負担を軽減する一方で、複数胚移植と多胎妊娠の増加とも関連していたことを、実臨床データで示すものです。特に、年齢が高い患者や、保険で認められた移植回数の上限に近づいた患者ほど、その傾向が強く現れていました。多胎妊娠は母児双方にとって周産期合併症のリスクが高いことが知られており、保険適用の枠組みや患者への説明のあり方を、単一胚移植による健やかな出産という目標に沿ってどう調整していくかが、今後の検討課題として示されています。
参考文献
1. Fukuda A, Matsumoto H, Tsuji I, Fujioka S, Morimoto Y. Positive and Negative Aspects of Public Insurance Coverage on ART With Respect to Multiple Gestation in Japan. Reprod Med Biol 2026;25:e70078. doi:10.1002/rmb2.70078.
2. Ito A, Jwa SC, Kuwahara A, et al. Impact of Health Insurance Coverage for Assisted Reproductive Technology on Multiple Embryo Transfers and Multiple Pregnancies in Japan. J Obstet Gynaecol Res 2025;51(5):e16304. doi:10.1111/jog.16304.
