不妊は、避妊をせずに1年間性交渉を続けても妊娠に至らない状態と定義され、世界保健機関(WHO)の推計では、生涯のいずれかの時点で不妊を経験する成人はおよそ17.5%にのぼるとされています。高所得国では17.8%、低・中所得国では16.5%と、所得水準による大きな差はありません。
これまでの生殖医療研究は、子宮内膜症や多嚢胞性卵巣症候群、卵管閉塞といった生物学的な原因の解明に重点を置いてきました。一方で近年は、不妊が単なる医学的診断にとどまらず、社会的・制度的な文脈の中で経験され、政策的な対応の対象にもなってきているという視点が広がっています。年齢、階層、ジェンダー、地域といった要因が、不妊の経験や治療へのアクセスをどう形づくるかを検討する研究も蓄積されてきました。
韓国では合計特殊出生率が1を下回る中、政府は不妊治療への財政支援を段階的に拡大し、2017年10月には体外受精などの生殖補助医療(ART)を公的医療保険の給付対象に組み込みました。こうした制度拡充のもとで、不妊と診断される女性の受診行動は診断の前後でどう変化し、その後の妊娠成立とどう関連しているのか。この問いに、韓国国民健康保険公団(NHIS)の全国レセプトデータを用いて答えた研究が、BMJ Open誌(2026年)に掲載されました(doi:10.1136/bmjopen-2026-117740)。
方法──15万人の初回不妊診断を、前後1年ずつ追跡した
対象は、2019年から2020年にかけて韓国で女性不妊(ICD-10:N97)の診断を初めて受けた20〜49歳の女性です。診断前1年間のウォッシュアウト期間を設け、これ以前に不妊関連の受診がなかった女性に限定したうえで、診断後1年間の受診行動を追跡しました。男性不妊(N46)の診断が併記されていた女性は除外されています。欠測値や外れ値を除いた最終的な解析対象は151,570人でした。
主要評価項目は、診断後1年以内に、流産・死産の記録を伴わない形で妊娠関連の受療(ICD-10:O00〜O99)が確認できたかどうかです。年齢、医療保険の種別、職種、健康保険料の四分位(所得の代理指標)、診断前後の受診回数、診断前の診断名の種類数、財政支援の利用、ART利用の有無などを説明変数として、多変量ロジスティック回帰分析が行われました。
診断から1年、妊娠が確認できたのは28.7%
151,570人のうち、診断後1年以内に流産・死産を伴わない妊娠が確認できたのは43,491人(28.69%)でした。年齢別に見ると、35歳未満の女性は妊娠確認群の63.87%を占めたのに対し、35歳以上は36.13%にとどまり、年齢による差は明瞭でした(p<0.001)。
診断前に記録されていた疾患のうち、最も対照的だったのは妊娠関連の診断コードでした。妊婦健診などの「妊娠の管理」に該当するコード(Z34〜Z36)は、その後妊娠が確認された女性の97.2%が診断前にも記録していたのに対し、妊娠が確認されなかった女性では28.8%にとどまりました。妊娠・分娩の合併症に関するコードも、妊娠確認群で69.7%、非確認群で4.1%と大きく異なりました。一方、不妊の原因として典型的に扱われる泌尿生殖器系の疾患(N82、N84〜N90など)は、妊娠確認群22.9%、非確認群26.6%とほとんど差がありませんでした。
この対比は、不妊の診断が必ずしも一様な「健康から病態への転換点」を意味するわけではなく、妊活を積極的に行っている時期や、これまでも生殖医療と関わってきた女性が、異なるタイミングで診断というラベルを得ている可能性を示唆しています。
ARTと財政支援は妊娠確率を高めたが、それだけでは説明できなかった
診断後にARTを利用した女性は、利用しなかった女性に比べて妊娠確認のオッズが高く(調整オッズ比1.66、95%信頼区間1.60〜1.72)、これは2倍近い差ではなく、約1.66倍というやや控えめな上昇にとどまりました。不妊治療への財政支援を受けた場合も同様に、オッズ比1.60(95%信頼区間1.54〜1.67)という結果でした。
興味深いのは、診断後の受診回数が多いほど妊娠確認のオッズが低かった点です(オッズ比0.95、95%信頼区間0.95〜0.95、1回の受診増加あたり)。著者らは、これを「治療がより複雑化・長期化していることの表れ」であり、必ずしも生殖能力の低下を意味するわけではないと解釈しています。一方、診断前に記録されていた診断名の種類数が多いほど、妊娠確認のオッズはわずかに高くなっていました(オッズ比1.04、95%信頼区間1.04〜1.05)。これは、診断前から医療機関へ積極的に関わっていた女性ほど、その後の妊娠にもつながりやすい傾向を反映している可能性があります。
皆保険制度のもとでも残る、年齢・所得・雇用形態による差
韓国の国民健康保険はほぼ全国民をカバーする皆保険制度ですが、それでも社会経済的な勾配は明確に残っていました。35歳以上の女性は35歳未満に比べて妊娠確認のオッズが有意に低く(オッズ比0.53、95%信頼区間0.52〜0.55)、低所得者向けの医療扶助(Medical Aid)受給者は、通常の国民健康保険加入者に比べてオッズが低くなっていました(オッズ比0.63、95%信頼区間0.51〜0.79)。
職種別では、無職の女性に比べて、公務・社会サービス業(オッズ比1.39)、金融・技術系(1.34)、製造・物流系(1.30)などの正規雇用に従事する女性のほうが、妊娠確認のオッズが高い結果となりました。健康保険料の四分位(所得の代理指標)で見ても、最も所得の低い第1四分位に比べ、第3四分位でオッズ比1.20〜1.21と最も高い値を示しています。障害のある女性は、ない女性に比べてオッズが低く(オッズ比0.70、95%信頼区間0.60〜0.83)、ソウル首都圏以外に住む女性は首都圏在住者よりわずかにオッズが高い結果でした(オッズ比1.04)。
妊娠既往の有無で層別化したサブグループ解析でも、これらの傾向は概ね維持されていました。妊娠既往のない127,448人、既往のある24,122人のいずれの群でも、ART利用は妊娠確認のオッズを有意に高めており(既往なし群:オッズ比1.67、既往あり群:オッズ比1.60)、診断前の受診パターンや年齢による差も同様の方向性を示していました。
「不妊診断」は、一つの出来事ではなく通過点
研究チームは、不妊診断を「生物学的な不妊の始まり」というより、公的支援を受けるための行政上の入口として捉える視点を提示しています。ART利用や財政支援へのアクセスが正式な診断コードと制度的に結びついている以上、既に妊娠・出産の経験がある女性から、長期にわたり自然妊娠を試みてきた女性まで、多様な背景を持つ人々が同じ「初回不妊診断」というカテゴリーに一括りにされることになります。
この解釈が正しければ、不妊診断を単線的な治療プロセスの起点として捉えることには限界があります。診断はむしろ、女性たちが妊娠関連の受療と不妊関連の受療のあいだを行き来する、より長期的な生殖に関する医療利用の一局面として理解される必要がある、と論文は結論づけています。
日本の生殖医療現場にとっての意味
日本では2022年4月から不妊治療の保険適用が拡大され、韓国と同様に公的な財政支援の枠組みが整備されつつあります。今回の韓国のデータは、そうした制度整備が進んでも、年齢や所得、雇用形態による妊娠成立率の差が消えるわけではないことを示しています。日本の臨床現場でも、保険適用や助成金の利用状況だけでなく、診断前後の受診パターンや社会経済的背景を含めた患者理解が、今後の議論の土台になり得ると考えられます。
また、診断後の受診回数が多いほど妊娠確認のオッズが低かったという知見は、治療の複雑化や長期化を経験している患者への配慮の必要性を示唆しています。単純な受診回数や治療介入の多寡だけで予後を判断せず、個々の背景にある事情を踏まえた説明が、患者中心のケアにつながると考えられます。
研究の強みと限界
本研究の強みは、韓国のほぼ全人口をカバーする全国規模のレセプトデータを用い、15万人超という大規模な集団で、診断前後の受診行動を体系的に検証した点にあります。
一方で限界も複数指摘されています。第一に、1年間のウォッシュアウト期間では、間欠的・反復的な不妊を完全に除外できない可能性があります。第二に、1年間という観察期間の中で評価されたアウトカムであるため、長期的な妊孕性の推移や、複数回の治療周期、実際の出生に至ったかどうかまでは捉えられていません。第三に、今回の妊娠確認割合(28.69%)は比較的高頻度のアウトカムであるため、ロジスティック回帰から得られたオッズ比は、真の相対リスクをやや過大評価している可能性があります。第四に、診断後の受診回数を説明変数として用いていることには、逆因果関係のリスクが伴います。妊娠が成立したこと自体が、その後の受診頻度や内容を変化させる可能性があるためです。最後に、男性不妊(N46)を分析対象から除外しているため、パートナー側の要因は今回の結果には反映されていません。
おわりに
今回の研究は、不妊診断が女性たちの生殖に関する医療利用というより大きな流れの中に位置づけられていることを、大規模な全国データによって示すものです。ART利用や財政支援は妊娠確認のオッズを高める一方で、その効果は年齢や社会経済的な勾配に比べると相対的に小さく、皆保険制度のもとでも格差が残ることが確認されました。今回の知見は、不妊診断とその後のケアのあり方を、単一の治療プロセスとしてではなく、患者中心の継続的な医療利用として捉え直すための土台になり得るものです。今後は、より長期的な追跡や出生アウトカムまで含めた研究による検証が必要とされています。
参考文献
1. Moon J, Jeon B. Reproductive healthcare use before and after infertility diagnosis: a population-based study in South Korea. BMJ Open 2026;16:e117740. doi:10.1136/bmjopen-2026-117740.
